水辺の風景に潜む大動乱の予兆?「水の都・大坂の幕末」 展
150年前の大坂を描いた錦絵などを集めた「水の都・大坂の幕末」展が、大阪市中央区の大阪城天守閣で開かれている。 穏やかで華やかな水都の表情。橋を埋め尽くす武士団の長い行列。描き出された情景から、大坂人がわがまちを誇らしげに愛でる一方で、迫りくる大動乱の匂いを敏感に感じ取っていた様子がうかがえる。3月15日まで。
天満橋を埋め尽くす武士の大行列
錦絵「浪花大湊一覧」。川の流れは大坂中心部を横切っていた大川(旧淀川)だ。天満橋が左右に大きく描かれ、大坂湾までを一望できる。 ドローンもない時代に、大空を舞う鳥の視点と想像力で描き切った。水の都大坂らしい華やかな作品だが、意外な情報が埋め込まれている。学芸員の宮本裕次研究副主幹は「描かれた年と橋に注目してほしい」とヒントを提供して、次のように話す。 「のどかな水辺の風景に見えるが、天満橋の上にはびっしり武士の行列が描かれている。出版された1863年(文久3)は、14代将軍徳川家茂が、将軍として230年ぶりに大坂を訪れる歴史的事件が起きた年。武士の行列は家茂の大坂城入城時の様子を表現しているとみて間違いない。表立って大事件を扱うわけにはいかないため、平穏無事な画の中にニュースを入れ込んだのではないか。大坂の動向を江戸の町人たちに知らせる意味合いもあったはずだ」 倒幕へ加速する西国雄藩の動きを、幕府は江戸では制御し切れない。将軍自身が京、大坂に乗り込み、にらみをきかすしかなかった。のどかな水辺を描いた1枚の錦絵に、天下動乱の予兆をさりげなく塗り込んだ作品だ。改めて描かれた天満橋に目を凝らす。黙々と橋を渡る武士たちの背中は、迫りくる重圧に耐えているようにもうかがえる。
龍馬や新選組もながめた水辺の大坂城
天満橋の南詰が八軒家浜で、京・伏見と大坂を結ぶ三十石船の船着場だった。天満橋のやや上流に川崎の渡しが設けられ、あたりは観光の名所だった。錦絵「浪花百景」シリーズの「川崎ノ渡シ月見景」で、往時の風景をしのぶことができる。 「渡し付近から大坂城をみると、林立する櫓の上に月が昇るという絶好のビューポイントだった。他にも遊覧する舟や川や堀、石段などで立体的に構成され、ぜいたくで奥行きのある景色を楽しむことができた」(宮本さん) 見物したのは大坂人ばかりではない。三十石船の航路だったため、旅人や要人たちもながめた。 「幕末に大坂を訪れた外国人使節が美しい情景だと賛美している。討幕派の西郷隆盛や坂本龍馬、幕府方の会津藩や新選組の人たちも、大坂城を見上げただろう」(宮本さん)