『光る君へ』清少納言に筆をとらせた定子の魅力、『小右記』につづられた兄・伊周との「意外な逸話」とは?
■ 定子は伊周を見放すことができず、手を取り合う姿も 一体、伊周はどこに逃げたのか──。ドラマでは、道長が「二条邸にこっそり戻っているやもしれん」と気付き、実資に「いま一度、くまなく捜せ」と指示。すぐに一条天皇の許可をとっている。伊周の確保に向けて、実資が検非違使を引き連れて、二条邸を探索することになった。 「捜さずともここにおる!」 二条邸をくまなく捜していると、そう言って伊周が登場。頭に布を巻いて「出家したゆえ任地には赴けない。その旨、帝にそうお伝えせよ」と、出家したフリをして逃れようとしている。 かぶり物を取られて、剃髪していないことがバレても、往生際悪く「これから剃髪するゆえ、任地には赴けない。帝にそう伝えよ!」と抵抗。妹の定子から「見苦しゅうございますよ、兄上!」と一喝されることになった。 文献で見られる伊周もまた、逃亡ののち、出家姿で出頭。太宰府に送られる途中で、病気と偽って播磨にとどまり、その後、ひそかに上京して定子にかくまわれるも発覚。出家も偽りで、太宰府に送られている。ドラマよりも実際は、さらにグダグダだった可能性が高い。 ただ、『小右記』の記述を読むと、定子と伊周の意外な逸話がつづられている。時間軸としては、まだ隆家と共にこもっている時期のことだが、定子と伊周の様子について、次のようだったという。 「中宮権師と相携へて離れ給はず」 (定子と伊周は手を取り合い離れなかった) 兄弟の不祥事によって、こんな目に遭ってもなお、実際の定子は伊周を突き放すことができなかったようだ。 ドラマでは、どんな時でも定子のそばにいようとする、ファーストサマーウイカ演じるききょう(清少納言)の献身的な姿が印象的だった。定子はそれだけ魅力的な人柄だったのだろう。
■ 『枕草子』誕生の瞬間が美しく描写された 今回の放送での見どころは、何といっても『枕草子』の誕生だ。 ドラマでは、失意に沈み、生きる気力をなくした定子を心配して、ききょうがまひろ(紫式部)に「中宮様をお元気にするにはどうすればよいかしら」と相談。すると、まひろはこんなことを言い出した。 「ききょう様、以前、中宮様から高価な紙をたまわったと、お話ししてくださったでしょう」 ききょうは「ええ、伊周様が帝と中宮様に献上された紙ね」と応じると、そのときのことをこう説明している。 「帝がそれに司馬遷の『史記』を書き写されたところ、中宮様が『私は何を書いたらいいかしら』と、お尋ねになったのです」 まひろが「何とお答えになったのですか?」と先を促すと、ききょうは得意げに、こう答えた。 「枕詞をかかれてはいかがでしょう、と申し上げました」 これにまひろが「『史記』が敷物だから、枕ですか」と応じて、ききょうも「よくお分かりなこと!」と大喜び。二人の才女ぶりがよく伝わってくるやりとりである。その後、ききょうは定子から、紙をプレゼントされたのだという。 このドラマでのやりとりは、『枕草子』の跋文(ばつぶん:あとがきのこと)に書かれた内容を、ほぼそのまま再現したものだが、ここからがドラマならではの展開となる。まひろが、ききょうにこんな提案をしたのだ。 「その紙に、中宮様のために何かお書きになってみたらよいのでは?」 ききょうが「え?」と驚くと、さらにまひろは「帝が司馬遷の『史記』だから、ききょうさまは……春夏秋冬の四季とか」とアイデアを出すと、ききょうは「まひろさま、言葉遊びがお上手なのね」と感心。はじめは定子を心配して浮かぬ顔だったききょうが、ぱっと表情を明るくしたのが印象的だった。 紫式部に促されて、清少納言が『枕草子』を書き始めたという物語は、とっぴではあるが面白い。てっきり展開的には、この言葉を受けて、ききょうが『枕草子』を書くことを宣言するのかと思いきや、会話のシーンはこれで終わる。次に映されたのは、静かに意を決した表情で、やおら筆をとり書き物を始めた、ききょうの姿だ。 なんて美しいシーンなのだろうと、目が釘付けになった。『枕草子』はとにかく陽気な作品なため、清少納言も何の悩みもない明るい人物だったと思われがちだ。だが、居場所を失った定子に寄り添い続けたことを思えば、繊細で優しい性格だったのだろう。 暗い内容が一切出てこないことから、改めて『枕草子』は、悲劇の渦中にいた定子に向けて書かれたものだということが分かる。 たった一人の読者のために書いたものが、こうして千年以上たった今でも、読み継がれている――。その事実がありありと伝わってきて、心揺さぶられるものがあった。