バブル期、北浜で天才と呼ばれた投資家 その正体は稀代の借金女王 尾上縫
尾上縫の手口
「尾上の株式取引は昭和62年4月ごろから始まる。日曜日に『行』という奇妙な宗教的儀式を行い、特定の銘柄をあげて株価の見通しを尋ねると、神がかり状態の尾上が『上がるぞよ』『まだ早いぞよ』などと答える。尾上自身に明確な投資尺度などあるはずもなかった。勧誘されるままに、また自分の株占いに基づいて売買した」(永野健二著『バブル』) バブルの最中には縫の資産は雪だるま式に膨らむが、いったん弾けると雪崩を打って転がり落ちる。相場の習性として上昇波動はゆっくり、下降波動は目にも止まらぬスピードである。当たり屋、縫もたちまち曲がり屋に転落、資金繰りに窮する。大正の鉄成金と呼ばれた大阪立売堀(いたちぼり)の中村照子が元の歩に逆戻りするのと同工異曲である。 縫は親しい東洋信用金庫の支店長と謀って巨額の架空預金証書を発行させる。これを担保にカネを借りまくる。興銀系の800億円を筆頭にナショナルリース500億円、いずみファイナンス400億円、セントラルファイナンス、日貿信、住商リース各300億円……大手金融機関が勢揃いの図である。 大正時代の石井定七事件が思い出される。石井はコメや株の相場師であったが、やがて借金王と呼ばれるようになる。まず親密な関係にある高知商業銀行に手形を持ち込み、定期預金証書を作らせ、その証書を大手銀行に持ち込む。すると、いとも簡単に資金調達できることが分かると雪だるま式に借金は膨らむ。石井の借金は50余の金融機関から8437万円にのぼる。現在の価値に直すと2500億円くらいに達するといわれる。尾上といい勝負かも知れない。
株取引には会社の業績もケイ線も不要 “霊感”で株を売買
縫が盛んだったころは料亭「恵川」で株の入札が行われたほどである。8月14日付の日経新聞はこう報じている。 「尾上縫容疑者は4大証券のうちの2社、準大手2社、大阪に地盤を置く中堅証券会社を主力取引先として株式を売買。あらかじめ指定した日時に各社の担当者を『恵川』の一室に集め、好条件を出した証券会社に取引を依頼するなど、入札のような方法をとっていたという」 縫は若いときから霊感が働いた。だから株の銘柄選択も神のお告げに頼ったという。会社の業績もケイ線も関係ない。縫が経営するもう1つの料亭「大黒や」の中庭は尾上の道場でもある。森功は雑誌『新潮45』の中で書いている。 「中庭には不動明王や弘法大師の石仏、灯籠がところ狭しとおかれて、そのそばでは大きなガマガエルの石像が睨みをきかせていた。彼女は毎日それを拝み、相場を張った」 縫の持ち株は都銀や鉄鋼など優良株を中心に数十銘柄に及ぶが、その中に「中外炉工業」を大量に持っていた。中外炉といえば北浜で暴れる仕手集団として警戒されていた。中外炉が出動する時は鳴物入りでモノモノしかったと伝えられる。 「稀代の借金女王」尾上縫は4300億円という空前の債務を抱えて自己破産した。そのあまりの巨額さに昭和バブルの象徴として語り継がれることだろう。小説にドラマに映像に「女帝・尾上縫」の悪名は消えることはない。=敬称略 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> 尾上縫(1930- )の横顔 1931(昭和6)年奈良県出身、農家の次女として生まれ、高等小学校卒、大阪市内のデパートに勤める。1965(昭和40)年ころ資産家の援助で料亭「恵川」やマージャン店などを数店持つ。海外のマスコミは「バブルレディ」と呼ぶ。「北浜の天才相場師」と呼ばれたこともある。バブルが弾けて資金繰りに窮し、詐欺容疑で逮捕され、留置場で破産手続きを行った際の負債総額は4300億円に及び、個人としては史上最高額となる。1998(平成10)年、懲役12年の実刑判決を受ける。清水一行が『女帝:小説・尾上縫』を書いた。