バブル期、北浜で天才と呼ばれた投資家 その正体は稀代の借金女王 尾上縫
1980年代後半、バブル経済真っ盛りの頃、天才相場師と崇められた女性、尾上縫(おのうえぬい)。神のお告げを受けたという投機的な株の売買で、女帝とも呼ばれていました。やがてバブルが弾けた後、尾上が詐欺罪で逮捕されると、その怪しげな手法の数々が週刊誌やテレビのワイドショーまでをも賑わせました。 バブルに溺れ、惑わされ、目先の利益に飛びついた人たちが破滅に導かれました。冷静な時代ならば、決して天才などと崇められることはない、歪んだ時代が生んだ女帝の起こした巨額詐欺事件について、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
銀行株の大口投資家O女史の正体
昭和バブル景気が弾けて間もない1991(平成3)年5月2日付日本経済新聞朝刊一面に尾上縫の名が登場する。当時、日経新聞では「日本人と会社」という大型企画を連載中であったが、その1コマに彼女の名がイニシャルで表れる。 「6月の株主総会シーズンを控え、銀行の総会担当者は株主名簿のチェックに余念がない。この過程で、ある大口投資家の名前が浮かんできた。大阪ミナミで料亭を経営するO女史である。第一勧業銀行七百数十万株、日本興業銀行三百数十万株……。『彼女が買った銀行株は大手都市銀行5行と日本興業銀行といわれている。すでに売却した銘柄もあるが、名義が確認されていないケースや信用取引で買い建てて名義が出ていないものもあるとみるべきであろう』と関係者は推測する」 新聞の記事がO女史から実名に変わるのに時間は要しなかった。同年8月13日詐欺容疑で逮捕されたからだ。日経新聞は夕刊1面トップで大きく報じた。縫は大阪千日前で高級料亭「恵川」を経営するかたわら、女相場師として北浜株式街で1日に数百億円という大金を動かしていた。仕手も仕手、大仕手である。当時はノンバンクの花盛り。興銀の割引金融債ワリコーを100億円単位で購入し、これを担保に入れてノンバンクから金を借り、株式相場に投下した。