冨永愛「NHK『大奥』で念願の時代劇デビュー。オファー前から馬術を習い。子育てのため3年間休業、PTA役員も務め意外な息子の一面も発見」
◆時代にフィットした強運な人生 15歳でモデルを始めて、17歳で世界の舞台に挑戦してから25年。どんな仕事でもそうですが、特にファッションショーの仕事は一回一回が勝負。やり直しがききません。だから、これまで一度も手を抜いたことがない。その都度、自分ができる100%以上の力を注ぐようにしてきました。 俳優をはじめ、仕事の幅が広がっていったのも、その姿勢を貫いたからなのかもしれません。一つの仕事がまた新しい仕事を呼ぶという、いい循環が生まれたように思います。 実際にそう感じたのが、23年10月に行われた「第50回信玄公祭り」の信玄公役に抜擢された時のことでした。武田信玄の故郷、山梨県甲府市で毎年開催される大きなお祭りで、信玄公役は歴代、渡哲也さん、藤岡弘、さん、沢村一樹さんなどそうそうたる顔ぶれの俳優が務めてこられました。 そんななか私が、史上初の女性信玄公として出陣できたのは、『大奥』の吉宗役があったからこそ。一生に一度の大役、という気概で楽しく号令をかけさせていただきました。 誠実に仕事に向き合ってきたから今がある、という自負はありますが、努力だけでは思い通りにならないのが人生。振り返ると私はかなりの強運だったと感じることが多々あります。 世界に飛び出した1999年は、ちょうど「アジアンビューティー」が世界的に注目されていた頃。モデルはその時代の流行に大きく左右される職業ですから、もしデビューが3年早かったり遅かったりしたら、時代にフィットせず、活躍できていなかったでしょう。こうしたことは努力以前の問題なので、不思議なパワーを感じますね。 また、私は息子が小学生のタイミングで3年ほど休業したのですが、無事に復帰して、今お仕事をいただけているのは、運がなければありえないことです。
◆落ち込んだ時はゆっくり行動してみる そもそも休業したのは、息子としっかりと向き合うため。仕事と育児のバランスがうまく取れず、かなり苦悩したすえの決断でした。休業中は、PTAの役員を担当し、謝恩会の司会をするなど、それはそれで忙しく過ごしてはいました(笑)。 でもそのおかげで、学校に頻繁に行って、家では見られない息子の一面を知ることができ、いい期間になったと思います。 そんな息子も今や立派な青年となり、私と同じ道を歩み始めました。「モデルとして活動したい」と言われた時は、正直複雑な心境になってしまって。浮き沈みの激しい業界ですし、自分自身が「商品」として見られる世界です。できればほかの仕事に就いてほしいというのが、母親としての本音でした。 けれど彼の、「ファッションやモデルという仕事への憧れだけで志したわけではなく、自己を確立するのが目的だ」という話を聞いて、考えを改めたんです。私がモデルになったのも、同じ志だったことを思い出して、息子に対しても、業界の荒波にもまれて、人として成長してほしいと願っています。 私もこの世界でさまざまな苦難を経験したからこそ、成長することができました。直接誰かに言われたわけではないのですが、ファッション業界に「冨永愛」が飽きられてしまったのではと感じたこともあります。プライベートでいろいろあって、精神的にキツい時もあった。 そういう時私は、大きな目標や目的意識を見失わないことを心がけています。立ち止まらずにほんの少しずつでもいいから進んでみる。ゆっくりしたペースでも行動し続けると、「きっと自分は大丈夫だ」と思えるのです。そうやって自分を守ることが、低迷期を耐え忍ぶ私の処世術です。
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