別々の道を考えていた「ナガマツ」、悔いの残った五輪へ2人で再挑戦
■追い込まれたレース終盤、ベスト4の壁を乗り越える
ただし、今回も出場権獲得の道のりは、険しかった。松本は「ベスト8までコンスタントに勝ち上がっていたことが、後半になって、自分たちを苦しめた」と話したとおり、終盤は難しい戦いを強いられた。五輪レースランクに反映できるポイントは、好成績の10大会分のみ。8強のポイントで埋め尽くされ、終盤は大きな大会で準決勝以上に進む必要が生じたからだ。殻を破ったのは、年が明けてから。1月のインドオープンで、約3年ぶりのワールドツアー優勝。五輪レースランクで日本勢2番手に浮上した。さらに3月、パリ五輪のプレ大会として行われたフランスオープンでベスト4。ようやく、世界のトップを争う2人の姿が戻って来た。
■今では認める、異なる特長への理解不足
爆発的な攻撃力を持つ長身ペアは、世界が認める存在だ。五輪2大会連続出場だけでなく、世界選手権では4大会連続のメダルを獲得している(18年、19年に連覇、21年、22年に銅)。しかし、初めは、かみ合わないペアだった。長身という共通項があるものの、性格や特長は異なる。永原は、何事も粘り強く、実直で丁寧に続けられる力がある。一方の松本は、継続性よりもひらめきや爆発力が武器。組み始めた当初は、互いのプレーに、不満を抱えていた。永原は「最初は、いきなり(松本に)冒険した球を打たれてビックリして、どうしていいか分からなかった。今となれば、その松本の一発が決めてくれる信頼もある。自分には打てない球もたくさん持っていて、すごく助けてもらっています」と理解が進んだことに触れたが、逆を言えば、以前は、互いの異なる特長への理解を欠いていた。「最初は(松本が必要以上に難しいプレーにトライして)コートの緑(のマット)より外に打ってしまうこともあって、えーっ!? みたいなこともありました」と苦笑いを浮かべた。
一方、松本は、自分のアグレッシブなプレーがミスとなって失点を生むことに気付き始めたが、永原がつなぐばかりで相手を崩す球を思い切って仕掛けないため、自分が持ち味を発揮しなければいけないと思い、葛藤を抱えていた。「逆に(永原も)やれよみたいな感じの雰囲気は、多分、出していたと思う」と笑って、当時を振り返った。