アレクサンドロス大王と第一の腹心ヘファイスティオンは男同士でも愛し合っていた?
Netflixのドラマ「アレクサンドロス大王:神が生まれし時」で話題、史実を検証
アレクサンドロス大王は大帝国を築いた英雄として今も歴史に名を残している。しかし巨大帝国の建国は彼一人の業績ではない。大王を支えた多くの将軍、友人、同盟者がいたからこそ成しえたことだった。 ギャラリー:9000年前のギリシャに生きた18歳の女性ほか、昔の人の顔を復元 写真9点 ネットフリックスで配信中の歴史ドラマ「アレクサンドロス大王:神が生まれし時」は、大王の最も親しかった友人であるヘファイスティオンとの有名かつ議論の的となってきた関係について考察しているが、史実は何を伝えているのかあらためて振り返ってみよう。
アレクサンドロスとヘファイスティオンの関係
将来アレクサンドロス大王となる人物は紀元前356年7月、マケドニア王国の王子として生まれた。20歳で王位を継承すると、13年をかけて地中海からインドに及ぶ大帝国を築き上げた。 遠征の開始から常にアレクサンドロスの右腕として付き従った盟友がヘファイスティオンだった。 ヘファイスティオンはアレクサンドロスとほぼ同年齢だったと、ローマの歴史家クイントゥス・クルティウス・ルフスは伝えている。アレクサンドロスとヘファイスティオンがいつ、どのように出会ったのかは分かっていない。しかし13歳になったころから古代ギリシャの哲学者アリストテレスの下で共に学んでいたようだ。 アレクサンドロス大王の東方遠征に関する第一級資料とされる『アレクサンドロス東征記』は、アレクサンドロスの死から約450年後の2世紀に書かれたものだ。 アレクサンドロスに関して現存する古代ギリシャ語の資料は、どれも直接記述されたわけではない。それよりも前からあった記録を基に書かれてはいるものの、そうした記録はすでに失われている。古代ギリシャの歴史家シケリアのディオドロスが残した記述が現在最古のものだが、それでさえ書かれたのはアレクサンドロスの死から数世紀後の紀元前30年ごろだ。
男性同士の性的関係は……
男性同士の性的関係は、古代マケドニアのエリート層の間では別段珍しいことではなかった。アレクサンドロスもおそらくは軍事的な理由からマケドニア王国に存在した両性愛の文化に身を置いていたのだろうと、歴史家のダニエル・オグデン氏は言う。 一方、アレクサンドロスとヘファイスティオンは愛し合っていたと断言する古代の著述家はいない。3世紀の古代ローマの著述家クラウディオス・アイリアノスは、ヘファイスティオンは「アレクサンドロスの愛の対象だった」と書いたが、アレクサドロスの死後約550年もあとのことだった。 確実な記録がないことから、現代の研究者たちはアレクサンドロスとヘファイスティオンの関係を断定することは避けている。しかし、多くは愛し合っていたと見立てている。