東北のエンタメ守る面師 手がけた神楽面、23年で500枚以上
■連載「凄腕しごとにん」 神楽面師・佐藤高広さん 宮城、秋田、岩手の3県にまたがる栗駒山のふもとに、「南部神楽」と呼ばれる郷土芸能が伝わる。この土地で生まれ育ち、自らも神楽を踊りながら、舞い手がかぶる面を作り続ける。 【写真】神楽面の製造工程(左から)。丸太から木材を切り出し、樹皮をはがし、形を整え、面の輪郭を削り出す。顔のパーツを彫ったら紙やすりで磨き、貝をすりつぶして作った「胡粉(ごふん)」を塗る。髪や目を描き、紅を差したら出来あがり=2024年9月27日午後3時13分、宮城県栗原市、御船紗子撮影 家族に神楽を踊る「神楽衆」がいたわけではないが、物心ついたころから色々なものを太鼓に見立ててたたき、母親に面をねだった。中学生からは地元で南部神楽を伝える一派「中野神楽」に加わった。「神楽さ天から背負(しょ)ってきた」と言われた。 初めて面を作ったのは小学生のころ。お気に入りの面を手本に彫刻刀で彫った。色を塗ってほしくて仏具店へ持ち込んだら、店主が「ゲタさ持ってきたのか?」。ショックで面はその場で割ってしまった。 中学生になり、岩手県一関市の面師に弟子入り。師匠は面を作る様子を見せてくれなかったが、自作の面を持ち込み、表情の作り方や仕上げの工程など、ひとつひとつ教えを請うた。高校を卒業し、家業の畳店を継ぐため埼玉の専門学校へ入った時も、寮に面と彫刻刀を持ち込んだ。 2001年、師匠の雅号「一運」と自身の名前から一文字ずつとり、神楽面師「広運(こううん)」として独り立ちした。以来、23年間で500枚以上の神楽面を手がける。今年2月には全国で活躍する面師3人とともに、東京・銀座で合同展を開くまでになった。 ■担い手不足 「今途絶えさせるわけには」
朝日新聞社