これぞ100年前の技術的頂点 ベントレー 4 1/2リッター(1) ル・マン24時間レースとの深い関係
ル・マン24時間レースとベントレーの深い関係
「こんなレースはクレイジーですよ。誰も完走できないでしょう。24時間も高負荷に耐えられるようには、設計されていません」 【写真】100年前の技術的頂点 ベントレー 4 1/2リッター 3と4 1/4、8リッター 最新バトゥールも (115枚) フランスのサルト・サーキットで開催されるル・マン24時間レースと、深い関係を築いたベントレー。名門ブランドを創業したウォルター・オーウェン(WO.)・ベントレー氏が、1923年の初戦前に発言した内容だ。1958年の自伝に記されている。 同社の代理人だったジョン・ダフ氏へ背中を押されなければ、記念すべき第1回へエントリーした、ベントレー 3リッターのサポートをWO.ベントレーは考えなかったかもしれない。しかし、4位タイでの完走を知ると、彼は耐久レースへのめり込んでいった。 その後、ワークスチーム態勢で積極的に挑み、5度も優勝。世界一過酷ともいわれるその歴史へ、ベントレーは古くから名を刻んできた。 今回ご紹介するYW 5758のナンバーで登録されたマシンは、1928年式。英国のコーチビルダー、ヴァンデンプラ社製のボディを架装する、4 1/2リッターだ。 現存するWO.ベントレー時代のワークスマシンでも、特に多くの成功を残した1台として、マニア間では広く知られた存在にある。ル・マンだけでなく、ブルックランズ・サーキットなどでのイベントでも、素晴らしい成績を勝ち取ってきた。 だが、このクルマが戦っていた時代のベントレーは、資金不足に悩んでいた。経営手腕以上に野心の大きかったWO.ベントレーは、1919年の創業から6年後、1925年には出資者を幅広く募っていた。
先進的なオーバーヘッドカムのモジュラー構造
ベントレーを駆ったレーシングドライバー、ウルフ・バーナート氏からの援助を得たのは、その2年後。裕福な彼は、ブランドと多くの従業員を、短期間ながら救済することになった。 1920年代半ばには、3リッターはヴォグゾール30-98など、いくつかのモデルとの厳しい競争へさらされていた。彼の資金で、WO.ベントレーは後継モデルの開発へ再び注力することが可能になった。 導かれたのが、6.6L直列6気筒エンジンを積んだ6 1/2リッターと、4.4L直列4気筒の4 1/2リッターという2モデル。この2種類のユニットは気筒違いのモジュラー構造で、100mmのシリンダーボアと140mmのストロークが共通していた。 モノブロックでオーバーヘッドカムの設計や、1気筒当たり4バルブの構成は、当時としては先進的なもの。多くのライバルは、吸排気ポートがシリンダーの横に並ぶサイドバルブで、2バルブ構成が一般的だった。 4398ccの排気量から得た、量産仕様の最高出力は111ps。だが、レース仕様では131psまで引き上げられていた。 1927年に発表された4 1/2リッターのシャシーは、ホイールベース3302mmの3リッターがベース。それでもステアリングやブレーキは改良を受け、先代より遥かに優れた性能を得ていた。 6 1/2リッターより軽量で、操縦性は良好。ベントレーの当時のラインナップでは、ベストといえるモデルだった。さらに4.4Lユニットは耐久性が極めて高く、現役時代のレースで故障したのは1度のみだといわれる。