「警察は袴田さんを犯人ときめつけていた」袴田さんの知人女性が証言
1966年、旧清水市で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さんと事件前から家族ぐるみで親交があった女性が「警察は事件直後から袴田さんを犯人と決めつけていた」と証言しました。 ●渡邊昭子さん: 「私いつも『母さん母さん』って、2つしか違わないのに」 袴田さんが「母さん」と呼んでいた渡邊昭子さん、90歳。事件からちょうど58年がたった6月30日、静岡市清水区で開かれた支援者集会で登壇しました。 ●渡邊昭子さん: 「絶対犯人じゃない。そればっかり私たちは言い切って子どもたちに言い聞かせてきた、この何十年。絶対無実です無罪です」 昭子さんの夫・蓮昭さんは旧清水市のキャバレー「太陽」でバンドマンとして、ピアノやアコーディオン、ドラムを演奏していました。そこにプロボクサーを引退した袴田さんがボーイとして働き始めたのは、事件の5年ほど前のことでした。 ●渡邊昭子さん: 「袴田さんのあだ名がおなかちゃん。袴田さんお腹出てたので『おなか』でいいよなんて」 同じ寮で生活していた渡邊さんの家族と袴田さんは、プライベートでも一緒に過ごすほどの親しい間柄でした。 ●渡邊昭子さん: 「うちの子どもも生まれて、(袴田さんに)ずっと可愛がってもらってどこ行くにも連れて行くよっておもちゃ買ってくれたり。家族ぐるみで遊園地に行ったり、夏は海へ行ったりしました」 渡邊さんが大切に保管するアルバムがあります。しかし、ところどころに写真が剥がされた痕・・・。巌さんの写真は小さく映った数枚だけです。 1966年の事件発生3日後。 ●渡邊昭子さん: 「清水警察署(の警察官)が来たんですよ、アルバム見せてくれと。(袴田さんが映った)写真をどんどんめくられた。『(犯人は)絶対袴田だ袴田だ』ってうちの主人と喧嘩腰です。『袴田さんはそんなことやるはずない』と。頭から『ボクシングやっていた袴田しかない』って帰った。そんなことない、優しくみんなとつきあっていたよって、それしかいうことない」 事件直後から捜査員が袴田さんを犯人と決めつけていたと渡邊さんは振り返ります。 ●渡邊昭子さん: 「口数は少なかったが、キャバレー太陽の従業員も袴田さんはそんなことやらないよねって。絶対無実しかないんだってみんなでそういってた」 警察官が持って行った写真はいまだ返ってきません。渡邊さんは2024年5月、検察に写真の返却を要求したといいます。 ●渡邊昭子さん: 「(検察官に)『探してみる』って言われたけど、いまだに返答はない。(袴田さんに)ちゃんと見せてこうだったよってお話したかった」 袴田さんはまもなく逮捕され、その後血染めになった5点の衣類が出てきたとき、違和感を感じたと言います。物干し場で袴田さんの衣類を見ていたからです。 ●渡邊昭子さん: 「おなかちゃんのもみんな干していた。だからあんなシャツじゃない。絶対違う。見たときにやっぱり無実だ」 夫の蓮昭さんは袴田さんの無実を信じたまま、4年前に93歳で亡くなりました。 ●渡邊昭子さん: 「(蓮昭さんは)おなかちゃんがそんなことやるわけない。無実だ無実だって」 1980年に死刑が確定した袴田さんは2014年に釈放されました。しかし48年にも及んだ拘置所生活による拘禁反応で、いまも現実と妄想が入り混じった世界にいます。渡邊さんが袴田さんに最後に会ったのは、2023年3月の支援者集会です。 ●渡邊昭子さん: 「キャバレー太陽のかあさんだよ、わかった?かあさんかあさんっていつも言ってたでしょ」 ●袴田巌さん:「問題はわかりましたもん」 ●渡邊昭子さん:「思い出して思い出してよ」 袴田さんは覚えていないようでした。 ●渡邊昭子さん: 「わかるかと思ったらわからない。本当に残念。なんでもっと早く決着つかなかったのかと」 釈放から10年。再審公判は2024年5月に全ての審理が終わりました。判決は9月26日に言い渡されます。 ●渡邊昭子さん: 「絶対お腹ちゃんはやらないってそれを信じて何十年も今まで来てます。無罪を祈るばかり。何十年間悔やんできた早くいい返事が聞きたい」