渡邉恒雄はいかにして”メディアのドン”となったか? ノンフィクション作家・魚住昭に聞く、その権力の源泉
読売新聞グループの本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が12月19日、肺炎で亡くなった。98歳だった。本人に取材を重ね、2000年に『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)を上梓したノンフィクション作家・魚住昭氏が、毀誉褒貶あった“巨人”との交流を振り返る。 「取材を始める当初は、渡邉恒雄さん本人はともかく、読売新聞の内部の人たちやOBに関しては、わりと楽に取材ができるだろうと考えていました。私自身、共同通信にいましたし、知り合いもいないわけではなかった。しかし実際に取材してみると、みんな口が堅い。現役の社員はもちろんのこと、OBに至っても渡邉さんについて話すことを嫌がるというか、怖がっているという印象があり、それだけ影響力が強いのだと実感したことを覚えています。敵に回すと非常に怖い人で、その反面、人情家でもありましたから、味方にしたらこれ以上に心強い人はいないだろう、とも感じましたね」(魚住氏) 『渡邉恒雄 メディアと権力』では、渡邉氏が読売新聞社で権力を獲得していく様子がつぶさに描かれている。計10時間以上に及んだ本人へのインタビューの最後に語られた言葉に、魚住氏は衝撃を受けたという。氏が「ジャーナリストの矩を踰えている」と唖然としながら、「本音をそのまま話す人だ」と感じたのが、以下のような言葉だ。 「世の中を自分の思う方向に持っていこうと思っても、力がなければできないんだ。俺には幸か不幸か“1000万部”(※当時の読売新聞の発行部数)がある。1000万部の力で総理を動かせる。小渕総理(当時)とは毎週のように電話で話すし、小沢一郎ともやっている。自自連立だって思うままだし、所得税や法人税の引き下げだって、読売新聞が一年前に書いた通りになる。こんな嬉しいことはないわね。これで不満足なんて言ったらバチが当たるわ」 渡邉氏は元日本共産党員の転向左翼として知られる。学生時代から「世の中をひっくり返す」ことを指向し、権力闘争に身を投じていった経緯が、この言葉の背景にあるようだ。 「彼は高校時代から反軍国主義的な思想を持っていた人で、天皇制そのものに対しても反発していて、天皇制を打倒するために戦後、共産党に入りました。その共産党の体質に対して反発して、結局追い出されるわけですが、その過程において、学生運動の内部で権力闘争が行われており、その経験が渡邉さんの一生を左右したのだろうと思います。読売新聞の政治記者になっても、学生運動の当時と同じような権力闘争を行い、のし上がっていきました」(魚住氏) 渡邉氏が権力を手中に収めていく中で、魚住氏が注目したのは、自身の協力者を他組織に送り込み、内部から掌握する「フラクション」を含む戦略性だ。「組織の規模は変わっても、その主導権を握る方法を熟知していた」と、魚住氏は分析する。 「東大/共産党時代に運動戦術を学び、渡邉さんは読売新聞に入ってそれを応用しています。若い頃から自分の家に同僚や後輩の記者たちを集め、勉強会を開いて、自分の派閥を作っていった。政治部の記者が50人いるとして、そのうち20人を傘下に収めれば、思いのままに動かせる。実際、渡邉さんがまだデスクでもなく、キャップくらいの時期には、彼の意向のままに人事が動いていたと、当時の記者たちが証言しています。その範囲を拡大し続け、“マスコミのドン”と言われるところまで上り詰めたわけです」(魚住氏) そうして渡邉氏が論説委員長に抜擢された1979年以降、読売新聞は保守の色合いを一気に強めていった。そこで追い出された人々の声も、魚住さんは直接聞いている。 「渡邉さんが完全に主導権を握る前の読売新聞には、右も左もいろんな人がいました。しかし79年以降、左側の人は追い出され、代表的なのは大阪読売の社会部部長だった黒田清さん。私が話を聞いたのは膵臓癌の手術後、亡くなる少し前でしたが、『今の読売は権力に擦り寄っているなんてものじゃない。権力者が新聞を作っているんだ。そんなのジャーナリズムじゃないよ。これではもし日本が戦争に突き進んでも、ちゃんと批判ができない。読売をそんな新聞にしてしまったことが残念でならない』と強く語っていたのが印象的です。まったくその通りだろうと思います」(魚住氏) 一方で、魚住氏が評価するのは、渡邉氏が反軍国主義的な思想を貫いていたことだ。 「保守的な政治思想を持った人で、いまの自民党のように戦前・戦中の日本を美化するような、歴史修正主義者ではなかった。保守のなかでもどちらかというとリベラルな歴史観を持っていたことは、相反する思想を持つ人々にとって救いだったかもしれません」(魚住氏) マスメディア、野球界から政界に至るまで巨大な影響力を持ち、フィクサーとも呼ばれた渡邉恒雄氏が亡くなり、至上命題として掲げ続けた「1000万部」も2024年3月現在で598万部(日本ABC協会調べ)にまで落ち込んでいる。また12月17日には、米ウォールストリート·ジャーナルの発行元であり、経済関連の情報発信に定評のあるダウ・ジョーンズとの連携を発表するなど、大きな変革期を迎えていると言っていいだろう。 「渡邉さんが『1000万部を死守する』と必死になって訴えていた当時から発行部数はほとんど半減し、紙の新聞の影響力も半減していると痛感します。私たちの活動領域だった雑誌の世界もすでに惨憺たるものですが、渡邉さんの死去は、オールドメディアの終焉を象徴する出来事かもしれません」(魚住氏)
橋川良寛