3年目の復活 仲間と誓う復興
大震災からまもなく2年6カ月。再建の先行きは不透明だが、被災当時の支援や出会いが、3年目の復興を後押しすることがある。個々の再建はいまだ途上でも、地域や仲間と一体となった復活に思いを込める人々がいる。
釜石:祭り復活へ「思いつなぐ」
岩手県釜石市では7日、夏祭り「釜石よいさ」が3年ぶりに復活する。 「鉄の街」釜石のシンボルで、100年以上火をともした新日本製鉄(現・新日鉄住金)の高炉が止まった時期、地元の若手グループが「活気を取り戻そう」と祭りを始めた。1987年から24回重ねたが、大震災で途絶えた。 震災後、街おこし団体「NEXT KAMAISHI」(青木健一代表)が発足した。よいさ祭りの発案者に復活を相談したところ、「街に活気を、という気持ちがあるならやってほしい」と背中を押された。 新日鉄の企業城下町として栄えた釜石は1960年代、人口9万人を超えた。いまは4万人を割る。「NEXT」は地域活性を掲げたものの、当初は補助金を当てにするなど手探り状態だった。 青木さんは「市民が広く参加する祭りこそ、活気を取り戻すきっかけになる。自分たちの手で、祭りを成功させたい」と意気込みを語る。企業や行政に依存しない、「手作り」の祭りを目指す。 7日の祭りは、市の中心部で午後1時半から午後9時まで行われる。「NEXT」を中心に実行委員会を編成している。
気仙沼:寿司店の再建「店で恩返し」
大型漁船「第18共徳丸」が打ち上がった宮城県気仙沼市の鹿折地区。船の目の前に店があった寿司屋などが、同じく店を流された仲間と「流され寿司 気仙沼握り屋衆」を2011年に結成。握りの出前実演を繰り返した。今年から来年にかけ、ようやく自らの店舗が再開する。 「店は流されたが、腕は流されていない」 自分たちができるのは寿司との思いから、北海道から九州まで回った。気仙沼の被災状況を、寿司を握りながら参加者に伝えた。「新富寿し」の鈴木真和さんは、ブログや「流され寿司」のサイトを通して、震災直後や出前寿司の情報発信を続けた。 ネット発信に反応して、物資の支援や寿司出前の依頼など反響があった。鈴木さんは変化を感じる。「インターネットは最初単なるツールと思っていた。しかしネットの向こう側に、たくさんの人とつながりがあった」という。 鈴木さんは12月に店を再建する。カウンターに立つのを心待ちにしているという。「寿司屋は、カウンター越しに人と人が触れ合うのが魅力」。店を再建して「恩返し」をしたいという。 その思いは「寿し処大政」の清水直喜さんも同じだ。震災前の夏、気仙沼特産フカヒレをたっぷり使った「究極のフカヒレ丼」を開発したが、1年足らずで中断した。清水さんを中心に丼の復活を模索している。寿司店全体で港町・気仙沼の復興を盛り上げるために。