池松壮亮さんが小説『本心』に感動し、自ら企画を直談判。完成した映画を観て、原作者・平野啓一郎さんが感じたこととは――。
ついに映画『本心』が公開されました。舞台はいまと地続きにある近い将来の日本、“自由死”を願った母の「本心」を探ろうとした青年・朔也(さくや)が、進化した時代に迷いながらも進んでいく姿を描いた本作品。主演・池松壮亮さんと原作者・平野啓一郎さんの対談を、お届けします。 【写真】この記事の写真を見る(5枚) ――まずは平野さんに、小説『本心』執筆の経緯を伺いたいです。 平野 自分はいわゆるロスジェネ世代ですが、この世代が高齢者になったとき、日本はどうなるんだろう、ということを考えていました。自分の子ども世代が社会の中心となる時代になりますが、「生きる」ということを肯定的に捉えられる社会であってほしい――それが、未来の設定にした理由のひとつです。 もうひとつは、AIが発達してきて、亡くなった人をしのぶとき、昔は肖像画だったのが、写真・動画の時代になり、これからはインタラクション、相互交流が可能な存在が遺影の最新版みたいになるのかな、とか思ったんです。AIと人との共生関係だったり、やっぱり一緒ではないなと思ったり、いろいろ考えたことが、着想のきっかけです。
池松壮亮さんが原作小説を読んだときに受けた衝撃
――2019年9月から新聞・ウェブに連載されていて、池松さんはこの作品に出会われたそうですが、どのようなところに魅力を感じましたか。 池松 ぼくもいろいろあるんですが(笑)――2010年代の終わりごろから、時代の変わり目を、自分自身がものすごく感じていました。存在や実存の翳りみたいなものを、一表現者として、どうとらえるのか。 そんななかでコロナがきて、2020年夏にこの小説に出会いました。『本心』にコロナは出てこないけれど、アフターコロナがすでに描かれていた――あの暗闇のなかで、自分たちはどこへ向かうのか、まったく見当がつかなかったけれど、『本心』のなかにはっきりと広がっていた。そのことにまず衝撃を受けたんです。 今ある、あらゆる社会問題が拡張した世界で、彷徨いながらも他者に自分を見出し、揺らぎながら、なんとか生きる実感を手放さないように一生懸命生きている主人公・朔也に魅了されました。 ――池松さんが石井裕也監督に話を持ちかけられて、プロデューサーと3人で、平野さんに会いに行かれたそうですね。 池松 俳優が出すぎた真似をしていいのかなとも考えましたが、説得する大きな要因になればと思い、行きました。何より、以前から平野さんの作品のファンだったので、会いたいということもあったし、自分で気持ちを伝えたかった。これだけの小説なので、もう他に手が挙がっているだろうなと思いましたが、たまたま1番でした。 平野 映画化の話はいろいろありますが、実現しないことも多いのでぬか喜びしないように、と思ってました。ただ、俳優さんがどうしてもやりたいと、監督さんと一緒にわざわざ来て下さるのは、なかなか珍しいことです。 会ってみて、池松さんが映画に対して持っている真面目な考え、実行しようとする意欲に、心を打たれました。『本心』の朔也は、非常にナイーブでピュアな心をもった青年です。この殺伐とした世の中で、懸命に自分で生きていこう、前進していこうとする青年の物語と、池松さんの映画に対する真摯な態度に、響き合うものがあると感じて、その場で「よろしくお願いします」となりました。 順調にこのプロジェクトが進んでいって、映画が実現したことは、本当に幸福でした。