「腐ったみかん」高校を退学になった紺野ぶるまの孤独と後悔「卵巣嚢腫と突発性難聴にも見舞われて」
高校に入学したころからギャル化が進んだ紺野ぶるまさんは、校則違反を繰り返し、高校2年生の冬に退学処分を受けました。当初は自由を感じた紺野さんでしたが、「孤独を感じて、中退の翌月には後悔していた」と言います。通信制高校編入後に経験したさまざまなバイト、突然の病──。芸能界を目指すまでの道のりを伺いました。(全4回中の2回) 【画像】アイプチ、つけまつ毛、真っ黒アイライン!ギャルメイクの紺野さんや芸能界に入ったばかりの初々しい紺野さん、幼少期の貴重な写真など(全19枚)
■高2で退学処分「お前は社会のクズだ」 ── 退学までの経緯を聞かせてください。 紺野さん:高2のときに、担任の先生が退職したんですよ。当時の私にはマジでどうでもよくて。でも、もう1度先生に戻ってきてほしいと考えたクラスのみんなが署名活動を始めたり、体育祭で使うための旗にもその先生の苗字を書いたりしたんです。私は「え、いつの間にそんなに先生への愛を育んでたの?」ってどこか冷めた気持ちだったんですけど、いざ体育祭の開会式で旗を持つことになったら、私たちのクラスがちょうど校長先生の真ん前だったからか、誰も持ちたがらなくて。クラスメイトからなぜか急に「ちょっと持って」って頼まれて。「え、この人たち何なの?」なんて思いながらも、校長先生を煽るように「うぇーい」みたいな感じで旗を振ったんです。
それでさらに目をつけられて、体育祭が終わったあとにまたいつもみたいに遅刻して、友達と電話しながらおでんを食べながら登校していたら、校長先生が校門の前で待ち構えていたんですよ。「また遅刻か。お前は社会のクズだ」って言われたんですけど、無視して先生の目を見ながら通話を続けていたら、「電話を切れ」って注意を受けて。食べていたおでんの汁で先生の足元をぐるぐるぐるって囲って「お前、ここから出るなよ!」って言ったら、次の日に退学になりました。
──ご両親はどんな反応をされましたか? 紺野さん:それまでに遅刻とかでちょいちょい停学にはなっていて、イエローカードが何枚か溜まっているような状態だったので、今回呼ばれたのは最後通告だったんです。だから、父はとにかくブチ切れていて、母は「お願いだから今日のうちに髪の毛を暗くして、スカートも長くして」と懇願してきました。 でも私はまだ事の重大さが分かっていなくて、「はいはい。めんどくさ。明日起きるの嫌だし」みたいな感じで。母の言うことを聞かずにそのまま朝を迎えて、化粧をして香水もアクセサリーもつけて学校へ向かいました。