「早すぎたソニー」を象徴する動画配信パソコン「バイオGT」に涙する
(前回「絶滅メディア博物館で触れる『つわものソニーの夢の跡』」から読む) 東京・大手町の「絶滅メディア博物館」には、ソニーの古いデジタルカメラ、そしてカムコーダーもたくさん保管されています。『ソニー デジカメ戦記』では、デジカメ部門を率いてきた石塚茂樹さん(元ソニーグループ副会長)が「ソニーのデジタルカメラの開発チームは、カムコーダー部隊が中心だった」と語っています。 【関連画像】「バイオGT」を持つ川井さん。左手で触れているのがレンズ部分(写真:大槻純一) 「絶滅メディア博物館」館長 川井拓也さん(以下、川井):それが当時のデジカメの企画にも少なからず影響したし、今のVLOG(動画ブログ)ブームのけん引役になったことにもつながっているのかもしれない、というのが石塚さんのお話でしたね。 そうなんです。 川井:開発部隊の出自がカムコーダーだったから、ソニーのデジカメは静止画にこだわることなく、ほぼすべて動画が記録できたと。 フロッピーに書き込む「デジタルマビカ」(右から2番目)すら動画が撮れましたから。それにしてもこうして実機を並べてみると壮観ですね。前回ご紹介した「ベータムービー(一番左)」、でっかいですねえ。 川井:メディアが文庫本サイズのベータビデオカセットで、CCDがまだないので撮像管を使っていますから、仕方ないです。しかもこれだけ大きいのに、本体で再生できない。 あ、そうだったんですか! 川井:家に帰ってベータのデッキにカセットを差し込まないと見られない。 ●「映画泥棒」でおなじみのあいつがここにいた その右が小さな「8ミリビデオ」カセット、CCDの採用でぐっと小型軽量化した「パスポートサイズ」のハンディカム、「CCD-TR55」(1989年)ですね。本体重量は790gとベータムービーの約3分の1で、本体のビューファインダーで再生もできた。とはいえ、確か画面は白黒でしたね。しかもブラウン管の。 川井:その右隣が「新パスポートサイズ」のデジタルハンディカム、「DCR-PC7」(96年発売)。これ「映画泥棒」のかぶりもののネタ元ですね(笑)。若い人に「これどこかで見たことありません?」と言うと、はっ、と気づいてもらえます。MiniDVのテープでデジタル記録、ファインダー代わりに液晶モニターと、だんだんデジカメに近づいてきました。これのカタログも実家から出てきまして、デデデデ、デーン。実物でーす。 すげえ。よくまあこんな美品で当時のカタログが。 川井:実物サイズでーす。ソニーは原寸大のカタログが好きだったでしょう。 はい、はい。よくありましたね。 川井:この新パスポートサイズハンディカムで個人的に面白いところはですね、僕、実際にユーザーだったんですけれど、この標準で付いてくるバッテリーです。すごく薄いんですよ、これ。 薄い! 側面に貼り付いているグリップ用のパーツのような。ん? これ、もしかしてバッテリー容量がすっごく小さくないですか。