フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第1回】フェラーリとの関わりは1973年にはじまる
フィオラーノに再び姿を現す
text:Shinichi Ekko(越湖信一) photo: Shinichi Ekko(越湖信一)、Ferrari S.p.A. 「8年ぶりだね、ここに足を踏み入れたのは! 27年間のフェラーリ生活の中で、もっとも多くの時間を過ごしたのが、ここフィオラーノです。私の心に刻まれたもっとも重要な場所に帰ってきました」ルカ・ディ・モンテゼーモロが発したメッセージは、ステージを取り巻く観衆の心を冒頭の一言で捉えた。 「マラネッロにおける最後の日のことは今も忘れない。全社員が歌ってくれた、ジーノ・パオーリの『長い愛の物語』。それは私にとって一番美しく、感動的でかつ抒情的な瞬間といえた。その時、私の一番重要な友人たち、つまりフェラーリで働く人々に私が正しく評価され、受け入れられていたことがわかった。それはなによりの喜びでした」と、続けて語りかける彼の言葉に皆は聞き入っていた。 そう、フィオラーノ・テストトラック創立50周年を記念し、地元ロータリークラブ主催のトークイベントに突然モンテゼーモロが登場したのだ。それも、彼との軋轢が噂されていたマウロ・フォルギエーリとの対談だった。久しく公の場へ姿を見せることのなかったモンテゼーモロであるが、そのエレガントかつエネルギッシュな振る舞いは、とても御年75とは思えなかった。まさに「カリスマ」という表現が彼にぴったりであった。そして、この時がフォルギエリ御大の元気な姿の見納めとなってしまったことも付け加えておかねばならない。
現場を緊張させる存在
高い理想を追求した彼は仕事においてはとても厳しく、スタッフ達への要求も厳しかった。彼が登場するならば現場には緊張が走り、スピーディな移動のために常用していたヘリがマラネッロから飛び立つまではピリピリした雰囲気に包まれていたという。 もちろん、当の本人も、周囲を納得させるだけの働きを見せた。2000年当時、筆者は来日した彼と長い時間スケジュールを共にする機会があったが、絶えず細かい指示をとばし続ける彼が、いったいいつ休んでいるのか不思議に思ったことを思い出す。そして彼は気づかいの人でもあった。慌ただしく日本から帰っていった彼から数日後、筆者へと直筆でメッセージが届いていた。「私たちが過ごした大切な時間を忘れることはないでしょう」と。