【師弟スペシャル対談3】関塚隆×中村憲剛。率直な疑問「セキさん、監督って何が一番大事ですか?」
「コミュニケーションは取り過ぎず取らな過ぎず」(中村)
――試合に勝つためには細かい戦術も必要になりますが、チーム作りとしては、そういった意思の共有が大事になるということですね。 関塚 そう思いますね。あとは、選手たちは誰もが成長したいと考えている。そんな彼らと一緒に自分自身も監督として成長したいなと思っていました。そこはお互いを理解し、尊重し合いながら進んでいかなきゃいけないですよね。例えば川崎の時であれば、ジュニーニョに「チームのために常にトレーニングには100パーセントで臨んでくれ」と伝えるなど、一人ひとりと会話をして、意見をかわしていました。 中村 ただ、僕はセキさんの1年目、何か事細かに言われた記憶はないんです。 関塚 あの時はケンゴには自由にやってもらっていたね。(笑) 中村 僕はまだプロ2年目だったこともあり、ノビノビやらせてもらっていました。好きなようにプレーし、周りの先輩方にサポートしていただいてましたから(苦笑)。そして当時はプレハブのクラブハウスだったので、たまに風呂場でセキさんと一緒になり、サッカーとは関係ない世間話をしていました。今のクラブハウスではそれはないので、ある意味貴重でしたね。その意味では、コミュニケーションは取り過ぎず、取らな過ぎずっていう、難しいバランスが求められるんだなと感じています。 関塚 でも、俺が監督に就任して2年目からは結構、ケンゴにも要求するようになったよね。要所で、攻撃をこうしていきたいというのは、ケンゴと話すようになっていた。 中村 J1に上がり、僕も2006年あたりから副キャプテン、2007年にゲームキャプテンもやらせてもらえるようになり、ピッチ上でセキさんのイメージを具現化するのは自分だという自覚も芽生えて、自ずと話す回数は増えましたよね。 関塚 就任3年目、2006年にJ1で2位になって、2007年にACLに出場してからはトレーニングする時間が相当に短くなって、その分、言葉で共有する回数も増えたのかもしれない。ミッドウィークに試合が入ってくると、監督のアプローチの仕方は大きく変えなくちゃいけないから。主に次の試合の準備に追われるようになって。だからあの時、初めて分析担当を置いてくださいってお願いもしたんだよね。それでちょうど引退を決めた今野(章)に分析コーチとして入ってもらって。 ――今のJリーグもそうですが、過密日程を戦っていく上では、コーチングスタッフの編成も大事ということですね。 関塚 監督はマネージャー的な要素も、どうしても求められるようになりますからね。それこそ、各監督のやり方もありますが、ヘッドコーチにトレーニングの流れを作ってもらうとか、監督は全体を見なくちゃいけない面もありますから。 中村 ただ、セキさんの1年目もそうだったと思いますが、コーチングスタッフに誰に入ってもらうかは、自分ですべてを決められないものだと思います。だからこそ、その都度の状況で臨機応変さも必要ですよね。 パート4へ続く。 ■プロフィール 関塚 隆 せきづか・たかし/1960年10月26日、千葉県生まれ。現役時代は本田技研でFWとしてプレーし、引退後は鹿島でのコーチなどを経て、2004年からは川崎を率い、魅力的なサッカーを展開。その後はロンドン五輪代表、千葉、磐田でも監督を務め、昨年7月から福島のテクニカルダイレクターに就任。 中村憲剛 なかむら・けんご/1980年10月31日、東京都生まれ。川崎一筋、バンディエラとしてのキャリアを築き、2020年シーズン限りで現役を引退。その後はフロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)、Jリーグ特任理事など様々な角度からサッカー界に関わり、指導現場で多くを学んでいる。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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