G2P-Japan欧州ツアー2023~パリ、ロッテルダム、プラハ(前編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第39話 2023年5月、世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルス感染症の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の終了を宣言した。この先、新型コロナ研究を続けるべきなのか? 筆者がG2P-Japanのコアメンバーたちと出した答えとは? * * * ■感染症研究のジレンマ 感染症研究とは、必然的にジレンマを抱える学問である。というのも、感染症の研究というのは、公衆衛生学や疫学、免疫学、病理学、細胞生物学から構造生物学まで、さまざまな階層で多岐にわたる学問と私は考えているが、それらはどれも基本的に、対象とする感染症を「制御する」ことを主たる目的としている。 しかし、対象とする感染症が「制御」されると、そのウイルスについて研究をする必要性がなくなる。これは一般社会にとっては喜ばしいことであるが、研究者にとっては必ずしもそうではない。なぜなら、そのウイルスについて研究をする必要性がなくなるということはすなわち、それを「生業」とする必要がなくなることとほぼ同義だからである。 ■「根絶」、あるいは「制御」に成功した感染症たち これまでに「根絶」に成功した人のウイルス感染症がひとつだけある。それは「天然痘」という、天然痘ウイルスによって引き起こされる感染症である。天然痘の致死率は20%を超えたといわれている。さらに恐ろしいのは、天然痘ウイルスのとんでもなく高い伝播力である。つまり天然痘ウイルスは、高い伝播力と殺傷力を兼ね備えた、まさにフィクションに登場するようなウイルスであったといっても過言ではない。 しかし天然痘ウイルスは、現在自然界には存在しない。それを根絶することができたのには、ふたつ理由がある。ひとつ目は、天然痘ウイルスは人にしか感染しなかったこと。つまり、動物には感染しないため、人での感染を「制御」することができれば、そのウイルスは原理的には駆逐できるといえる。 そしてふたつ目が、まさに人での感染を「完璧」に制御することが可能な、きわめて有効なワクチンが開発・実用化されたことによる。これがまさにワクチンの始祖でもあり、また「ワクチン(vaccine)」という言葉の語源でもある。それを実用化したのは、エドワード・ジェンナー(Edward Jenner)という免疫学者であり、ワクチンの歴史についてはまた折を見て深掘りしたいと考えているが、要は天然痘ワクチンはものすごく効果的だったのである。 天然痘ウイルスは、新型コロナウイルスのようにワクチンから逃避する変異を獲得することはなかった。そのようにして、ワクチンによって天然痘ウイルスは「制御」され、1980年、人類の手による「根絶」が宣言された。 天然痘のほかにも、「制御」する方法の確立に成功したウイルス感染症はいくつかある。ポリオ、はしか、C型肝炎などである。これらはどれも、とてもよく効くワクチンや治療薬の開発によって、「根絶」はされていないものの、社会的な問題がある程度解消された感染症たちであるといえる。 ――と、冒頭で触れた通り、この辺の話はいくらでも深掘りできる感染症研究のテーゼのひとつであるのだが、今回のコラムの本題とはちょっとずれるので、この辺で一旦終わりにして、深掘りしていくのはまた別の機会に譲ろうかなと思う。要は、感染症の研究というのは、本質的にこういうジレンマを抱えた学問である、というのがここでの本旨である。