「高校でずっと1位」なのに、現役でまさかの「東大不合格」…彼が抱き続けた東大への未練
あらゆることに興味を持ち、スポーツも勉強も全力で取り組むタイプで、中学時代は囲碁部に所属し、高校に進学してからはフットサル部に入って精力的に活動。体育大会や文化祭などの学校行事にも積極的に参加しました。 「通っていた高校では、サッカーのジュビロ磐田のユースに所属している選手や、野球でプロに行く選手もいました。学校行事では、その人たちと直接戦える機会もあってうれしかったですね。こんな機会はそうそうないと思うので、今では貴重な思い出です」
■先生からの一言で東大受験を決意 高校に進学してからも優等生ぶりは変わらず、総合点でずっと学年1位を取り続けました。 「トップである自覚を持って行動すべきだと思っていました」と語る彼が、東大を目指し始めたのは、高校1年生のときの担任の先生からの一言でした。 「中3のとき、3個上の先輩が母校で初めて東大に合格したんです。その先輩の担任だった先生が、高1のときに私のクラスの担任になりました。最初の模試の成績がよかったので、先生から『(先輩のように)東大を目指せるぞ!』と言われて、やる気を出しました」
こうしてスイッチが入った山﨑さんは3年間、1位の座をほかの人には明け渡さずにトップを守り続けます。 当時の山﨑さんの生活は、朝6時に起きて通学し、授業が終わったあとは18時まで部活、もしくは友達と話しながら勉強。19時に帰宅してご飯・お風呂を済ませたあと、20時から23時まで勉強をして就寝するサイクルだったそうです。 東大模試の判定はB~Cでしたが、『自分ならいける』と自信を持って勉強し続け、センター試験の本番でも91%と、東大受験生の中でも上位のパーセンテージを取ることができました。
「ずっと学年トップで、運がいいタイプだから、きっと自分は東大に受かるだろうと思っていました」 そう自信を持って東大の理1に出願し、受験に挑んだものの、結果は残念ながら合格者最低点より20点低く、不合格に終わりました。 一度東大を諦め、後期試験で合格した横浜国立大学の理工学部に進学することにした山﨑さん。彼は自身が落ちた理由を「勉強のやり方がよくなかった」と振り返ります。 「赤本を解いてはいたのですが、答えをチラッと見ただけで、間違えた理由についてしっかり分析できていませんでした。また、数学が苦手だとわかっていたのに楽観的に構えて、対策しきれていませんでした。本番の数学の試験であまり点数が取れなかったのも、数3の演習量が不足していたからだと思います」