甲子園の「神整備」は土守が100年引き継いできた技術と思いの結晶だった 「グラウンドが分かるまでに10年」傾斜や土の配合にも職人のこだわり
高校球児にとって甲子園球場での試合は一生に一度かもしれない。藤本さんは「イレギュラーで勝敗が決まるようなことはさせない」と誓い、整備に妥協を許さなかった。プロ野球選手からも一目置かれる存在だった。土ぼこりが口に入りグラウンドにつばを吐いた阪神タイガースの当時のエース江夏豊投手を叱り飛ばしたとの逸話も残る。 外野の芝生にもこだわった。冬も鮮やかなゴルフ場のグリーンを見て、「(春先に開催される)選抜高校野球大会も青い芝でできるんやないか」と考え、芝の「二毛作」を始めた。ゴルフ場の担当者に教えを請い、一年中青々とした芝生が生まれるきっかけを作った。 ▽伝統を受け継ぐ人 甲子園球場のグラウンドは一見すると平らに見えるが、実はマウンドを頂点に周囲に向かって緩やかに低くなっている。この傾斜によって雨水がグラウンドの周りに流れ出る。地面に埋まる砂利や小石の層も水を吸い込むが、水はけの良さは傾斜の効果も大きい。 そのため阪神園芸職員は、わずかな傾斜を把握しなければならない。試合中の限られた整備時間で、荒らされた土を元に戻し、傾斜を復元させる。選手が駆け抜けたり、滑り込んだりするベース周りは新人には任せられないベテランの領域だ。
だから金沢さんは「傾斜が分かるようになるのに10年かかる」と話す。一人前の道は遠い。金沢さんが入社した1988年より前には、新人はトンボを持つこともできなかった時代もあった。金沢さんは、空き時間に投球練習場のマウンド整備で自主練習を重ねたという。 雨上がりの日はさらに難しい。雨量、やんだ時刻、試合開始までの残り時間を頭に入れ、作業を進める。日々状況が異なり、その都度的確な判断が求められるだけに、積み重ねた経験が重要だ。 グラウンドと向き合い、数々の職人技を身に付けてきた甲子園球場の土守たち。金沢さんは「われわれも普通のサラリーマン。特別なことをしている意識は持たないようにしている」と語るが、その流れるような作業は野球ファンを魅了してきた。 その上で「われわれの仕事は完璧なグラウンドを作ることではなく、試合を時間通り始められるよう整えることです」と続けた。