「高田松原はなくしちゃだめだ!」津波で流されたマツ、偶然から再生へ 成長阻む新たな異変も#知り続ける
岩手県沿岸南部、陸前高田市にある国の名勝「高田松原」。江戸時代に町や農地を飛砂の害から守るために植林された7万本の松林と砂浜は、その美しさから「白砂青松」の景色と謳われ市民の誇りといえる場所でした。しかし、2011年3月11日、東日本大震災の津波は松林を直撃。たった一本を残して根こそぎ流されてしまいました。 失われてしまった松林。しかし、ある偶然と松原を愛した人々の熱意により、震災から10年後の2021年に松原再生に向けて植樹が完了。かつての松林の復活に向け、木々が育つのを待つだけかと思われた矢先に、マツが枯れるという事態に陥っています。 ■津波で流出した思い出の高田松原 「よく大きく こういうふうに育ててくれたっていうのはね、ありがたいね。」 岩手県陸前高田市の鈴木善久さん(79)は松原を眺めながらこう語ります。鈴木さんは中学時代、生物クラブで高田松原の植生を研究し、県のコンクールで最優秀賞を受賞したことがあります。思い出が詰まった高田松原の自然を後世に伝えたいと、2006年、NPO法人「高田松原を守る会」を発足。高田松原の保全活動に参加していました。 しかし、2011年3月11日、東日本大震災の津波は松林を直撃。あるマツは根こそぎ流され、あるマツは押し寄せる波と引き波で幹が捩じ切られ、たった一本を除いて流されてしまいました。奇跡的に残ったマツも海水で根が腐り倒木の恐れがあったため、一度切り倒され保存処理を施されたのちにモニュメントとして元の場所に設置されました。 「松原を守る会を解散しようかなというふうな、そのような話もいろいろ出てたの。」 無残な姿になり果てた松林。鈴木さんがあの時の光景を忘れることはありません。
■復活のきっかけは偶然
思い出の場所であり、地域の誇りでもあった高田松原の喪失を受け入れようとしていた2011年5月、思わぬ偶然が鈴木さんの背中を押します。 「松ぼっくりを使ったリースを作ろうと、震災の前の年に高田松原に落ちている松ぼっくりをたくさん拾った方がいたんです。」 隣町の女性が震災前に高田松原で拾ったという松ぼっくりを鈴木さんに届けてくれたのです。松ぼっくりは東北育種場に預けられ、無事、高田松原のDNAを受け継ぐマツが発芽しました。 「“松原はなくしちゃ駄目だ!”って、私達に訴えかけていたように感じます。」 鈴木さんたちはその苗を大切に育て、2017年から元の松林があった場所に植樹を開始。その後も苗植えを続けながら、風よけ対策、下草刈りを続け、台風被害などの困難と向き合いながら懸命にマツを育ててきました。高田松原は現在、マツを育てる「育樹」の段階に移っています。 「震災前に高田松原で楽しい思い出をたくさん作った。今の子ども達にも、これから生まれる人達にも、高田松原でそのような楽しい思い出をたくさん作ってもらいたい。」 しかし、今そのマツの一部が枯れてしまっています。