若手時代のジャイアント馬場のアメリカでのギャラは1試合600万円!【週刊プロレス】
週刊プロレスでおなじみのプロレス評論家・流智美さんがジャイアント馬場の知られざる歴史を堀り起こす書籍『馬場戦記 第1巻 世界進出編』(ベースボール・マガジン社)が好評発売中だ。 【超貴重蔵出し写真】1960年9月30日、ジャイアント馬場のデビュー戦
ジャイアント馬場(当時、馬場正平)はデビューからわずか9カ月後の1961年7月、アメリカ武者修行に出発。日本プロレスの新人としては破格のスピードだった。9月18日にはエンターテインメントとスポーツの“殿堂”マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)に初登場。ニューヨーク地区を仕切る大プロモーターのビンス・マクマホン・シニアは、身長2m9cmで天才的レスリング・センスを誇る東洋人ヒールを「この男はトップスターになる」と判断し、その後もMSG大会に馬場を定期起用していく。 マクマホンの見立てどおり、馬場はアメリカマットで大人気を博し、1964年2月17日には師匠の力道山も成し得なかった、日本人レスラー初の大偉業となる「MSGのメインイベント出場」を果たした。そこではWWWF世界ヘビー級王者に君臨する“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノに挑戦して惜敗。この1試合のギャラは3800ドル(当時の邦貨で約137万円。現在のお金に換算すると300~600万円程度)。これは当時のプロレスラーのワンナイトの稼ぎとしては全米ナンバーワン・レベルだったと思われる。日本のエースに定着する以前、キャリアわずか数年ながら、馬場は間違いなくアメリカのスーパースターだった。
週刊プロレス編集部
【関連記事】
- NOAH稲村愛輝がWWEパフォーマンス・センター入り! ショーン・マイケルズ「今後もNXTとNOAHのパートナーシップがさらに発展していくことを楽しみにしています」【週刊プロレス】
- ジャイアント馬場さんの麻雀必勝法「オレは相手の性格で読む」【週刊プロレス】
- 「人間ってどこか死に場所を探して歩いてる」燃える闘魂の死生観…アントニオ猪木が語るジャイアント馬場<1>【週刊プロレス】
- 「ジュリアにフラれた。みんなアメリカに…」NOSAWA論外ADを直撃(3)“月曜夜の魔法”シーズン3期開幕迫る!【週刊プロレス】
- 2代目タイガーマスクが結婚! ジャイアント馬場は「これには参ったよ! 仲人はオレ?」【週刊プロレス】