関西演劇界に爪痕を残したチャーミングな女優・牧野エミ、いまなお語り継がれる彼女の魅力とは
関西で1980~90年代に起こった『小劇場ブーム』の真っ只中、卓越したダンススキルに抜群の演技力、チャーミングさで多くから愛された女優の故・牧野エミ。 【写真】「はりけーんばんび」こと川下大洋 彼女の名前を冠に掲げ、最強のコメディエンヌを決める『エミィ賞グランプリ』が開催されるほど、いまなお語り継がれる彼女の魅力を、当時をよく知り現在は舞台やナレーションなどで活動する川下大洋に訊いた。
■ 関西で一世風靡した、小劇場ブーム
当時の小劇場ブームとは、劇団☆新感線(古田新太や羽野晶紀ら)、劇団そとばこまち(辰巳琢郎、生瀬勝久、山西惇ら)、売名行為や劇団MOTHER(升毅、牧野エミら)など、現在では映像を含めさまざまな作品で活躍する俳優や脚本家・演出家らを生み出した演劇界のムーブメント。 関西で多くの元気な劇団が頻繁に公演をおこなっていたが、当時・劇団そとばこまちに在籍していた川下によると、「バンドをやるモチベーションと一緒で、女の子に観て欲しい。とにかく女の子受けするものをと、ミラーボールやスモークを舞台に取り入れたり・・・。演劇にそれまでなかった派手な演出を取り入れてショーにしたことを楽しく思ってくれたのでは」と振りかえる。 そんななか川下らの劇団に、深夜番組『週刊テレビ広辞苑』(読売テレビ)の出演オファーが。「『そとばこまちが評判だからやってください』って言ってくれて。私(当時:はりけーんばんび)や上海太郎、生瀬勝久(当時:槍魔栗三助)らメンバーがレギュラーで1年間やらせてもらった」という。 番組は好評でその後、劇団☆新感線や売名行為のメンバーらも加わり、『現代用語の基礎体力』『ムイミダス』『未確認飛行ぶっとい』とシリーズ化。お笑い芸人によるコントとはひと味違った笑いが評判を呼び、小劇場ブームはさらなる盛り上がりを見せた。
■ 牧野エミのカッコよさ、彼女の魅力
その渦中のひとつ、立原啓介、升毅、牧野エミらによる売名行為。川下は、「『扇町ミュージアムスクエア』(大阪市北区に存在した小劇場)での公演を観ましたが、ものすごいカッコよかった」と評する。 「音楽がクールで、そこにエミちゃんがダンスを振り付けて、踊って・・・。それも当時の最先端だったんですよね、見たことないクールでかっこいいダンスや、場面転換の照明や音楽のなかにコント、それも笑いが尖ってるんですよ」 それは、そのまま劇団MOTHERに引き継がれ、そのクールさを一番フロントで体現していたのが牧野エミだったという。その一方で、「スタイルは良いし、ファッションセンスもすげえカッコいい。なのに美女が板東英二のものまねをするんですよ」と、笑いに貪欲だったという。 「牧野エミ」をWikipediaで検索すると、「1985年に演劇ユニット『売名行為』を立原啓裕や升毅と結成し、以後2000年代にかけての人気・活躍ぶりから『関西が生んだ稀代のコメディエンヌ』と呼ばれた」とある。