「野次飛ばしてた(笑)」競輪ファンから選手に!? 葉加瀬太郎さんに影響受けた金メダリスト山崎賢人/小倉G1・インタビュー後編
世界選手権・男子ケイリンで金メダルを獲得した山崎賢人選手(31歳・長崎=111期)。日本勢37年ぶりの快挙でした。後編では、競輪選手を目指したキッカケ、アフロヘアの秘密!? まで赤裸々に語ってくれました。地元地区で開催される競輪祭への意気込みをお届けします。(取材・文=アオケイ・八角あすか)
■競輪ファンから競輪選手へ キッカケは「平成の怪物」だった ーーもともと、大学時代まではバレーボールをやっていたと聞きました。競輪に転身するキッカケって何だったんですか? もともと車券を買っていたんですよ。金網越しに野次を飛ばしていました(笑)。一丁前に、あははは。 ーーまさかの野次(笑)。競輪ファンから選手になろうと思ったのは? 大学でバレーボールをやっていたけど、レギュラーでもなくて。自分の体を使って何か仕事がないかなと思っていて。僕が競輪を見たのが、深谷さんが先行して金子さんが優勝するレースが多かった年で(13年)。いくつかのGIを見ていても、その一年間、深谷さんがとんでもないレースをして活躍。それを見て自分の中で沸き立つものがあって。そこから長崎支部に連絡をして選手を目指したって感じです。 ーー実際に選手になられて、深谷選手ご本人に会ってみてどうでしたか? 深谷さんは独特な空気を持っていて、やっぱり強い選手って違うんだなって思いました。 ーー話を戻して、選手を目指したのはタイミング的にいつ頃だったのでしょう? 選手になるって決めたのが大学3年の終わりぐらい。選手になるっていう気持ちではいたけど、経験として就職活動はしていました。 ーーちなみに、就活生時代はアフロヘアではなかった? バレーボール部は厳しくて短髪でした(笑)。
トレードマーク・アフロヘアの秘密!?
ーーちょっと話が逸れますが、アフロヘアの秘密を教えてください。いつからアフロにしたのでしょうか? デビュー当時は坊主で、1年ぐらい経ってからですね。葉加瀬太郎さんを見て「何だ、この髪型は!」と衝撃を受けて、アフロヘアにしようと心に決めました。 ーー今ではトレードマークですね。ナショナルチームの後輩でルーキーの中石湊選手もアフロにされました。 中石も「したいです!」と言ってきて。1人アフロ友達が増えましたね(笑)。 ーーお手入れなんかはどうされているんですか? パーマは3、4か月に1回、意外と長持ちなんですよ。よく周りの選手には控え室で「そうやって髪を入れるんだ~って思って見ていた」みたいな感じで言われます。今でこそヘルメットを被るのには慣れたけど、最初は人よりも5分ぐらい長くかかっていました(笑)。