【映画作家・想田和弘に聞く】NYから牛窓に移住した理由と新作「五香宮の猫」のこと…「猫は社会の状態示す」
「人間の欲望って、渇きのようなもの。ドラッグと同じで、打てば打つほどもっと欲しくなる。上昇志向もそうで、一生懸命自分を駆り立てて、嫌な言い方ですけど、いわゆる『上』を目指すみたいなことを、僕もずっとやってきたんだと思うんです。人を押しのけて、競争して。でもそれで勝ったって、ずっと勝ち続けるわけがない。必ず負ける。勝ちが大きければ大きいほど、負けもきつくなる。だから、この競争にずっと身を置いていくことは、あまり自分にとって幸せなことではないなっていうことにだんだん気づいてきた。特に瞑想(めいそう)するようになってから」
以前から「違和感は感じていた」と言う。「上昇志向が強くて、成績も悪くなかったから、勉強して、東大に合格するわけですよね。合格したらもう自分の人生はバラ色、すごいハッピーになるだろうと思った。実際、しばらくはバラ色の気持ちでしたけど、慣れると、また、『もっと、もっと』と思うわけですよね。その時から『あれ?』と」
映画も、最初は「生涯に1本でも作って、映画館でかけられたら、もうそれでいい」と思っていたのが、「もっと、もっと」になった。「それで幸福感が高まるわけではなく、むしろ渇いていく。『選挙』はあんなに売れたのになんで今度の作品はそこまで客が入らないんだろうとか、もう余計なことばっかり考える。ほかの人と競争するだけじゃなくて、自分自身とも競争し始めちゃうわけです」
「そういう欲望、考え方そのものをどうにかしない限り、心の平安みたいなものは得られないんじゃないか」と言う想田。どうにかするすべを探りながら、映画を撮ってきたということか――。「どうしたら幸福でいられるかっていうことを、ずっと模索している感じはあると思います。それは自分だけじゃなくて、他人も含めて、猫や植物や、虫や、その他生きとし生けるものの幸福。その問いがあって映画を作ってきている、ということはずっと一貫してあると思います」