【映画作家・想田和弘に聞く】NYから牛窓に移住した理由と新作「五香宮の猫」のこと…「猫は社会の状態示す」
牛窓は、柏木の母親の故郷。今は亡くなった祖母のもとを訪ねたり、夏休みを過ごしたりするために、以前から訪れていた場所だ。これまでにも「牡蠣工場」(15年)、「港町」(18年)と、2本のドキュメンタリーを、そこで撮っている。
しかし、なぜ、長年暮らしたニューヨークから日本に――? 想田は「日本に帰ってきたというよりも、牛窓に移住したという感覚なんですよね」と言う。契機はコロナ禍だった。「東京で実感したコロナと牛窓で実感したコロナって全然違うんですよ」
2020年春、想田は、前作「精神0」のプロモーションのため、東京にいたが、緊急事態宣言で身動きがとれなくなった。ニューヨークに帰ろうにも帰れない状況。「とりあえずちょっとどこかに逃げたい」と、向かった先が牛窓だった。
「で、牛窓に行くと、もう全然世界が違って見えるわけです。例えば、猫とかマスクしてないじゃないですか。魚もしてないし、海とか、山とか、木とかも、コロナ関係ないですよ。それで、すごく思ったのは、そうか、『人間様』だけが困ってるのがコロナだったんだなって」。視界がひらけた。
「東京も、ニューヨークも、人間様によって人間様のために作られた人工的なものばかり。人間しかいない大都市にいると、映画館も飲食店も閉まり、公園ですら立ち入り禁止みたいになっちゃったり、どこへ行ってもコロナの影響が及んでいて、全部終わってしまったかのように感じたけれど、実はそれは世界の一部分」。自然から離れて生きていると、見失ってしまうことがあると実感したという。
「(多くの人間は)自然から隔絶されて生きているから、自然を利用し尽くす対象としかみていない。だからばんばん破壊もできちゃう。それは文明の病なんじゃないかな、と思うんですよね。もうそこから降りたい。もっと自然に合わせた生き方をしたい」。そして、牛窓に移った。
「もっと、もっと」は、きりがない
想田は、1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部を卒業し、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科へ。それから27年、ニューヨークに拠点を置いた。やはり、そちらが良かったんですよね――?「そうですね。僕自身、すごく上昇志向の強い人間だったので。でも、きりがない」と想田は言う。