「父危篤」母との対面を病室からLINEビデオ通話で実況中継 突如込み上げてきた感情とは?
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 昨年の終わりごろから、この半年で有名人の訃報が多く伝えられた。 作家・伊集院静さん、脚本家・山田太一さん、お笑いタレント島崎俊郎さん、元プロレスラー木戸修さん、写真家・篠山紀信さん、お笑い芸人エスパー伊東さん、同じく南部虎弾さん、映画プロデューサー叶井俊太郎さん、女優山本陽子さん、元横綱・プロレスラー曙太郎さん、ファッションデザイナー桂由美さん、俳優・劇作家の唐十郎さん、脚本家・小山内美江子さん…。 いずれも、取材、そしてインタビューでお話を聞いたことがある方々。この他にも、亡くなった方の記事を書いている。還暦をすぎて、そういう年回りになったのかと思うこともあるが、少し多すぎるのではと思っていた。 そして私事ながら、11日の土曜日、95歳の父が緊急搬送された。12年ぶりの2回目の「父危篤」だ。 その日は遠藤周作「海と毒薬」を50年ぶりくらいに読み返し、プロレスラー、フリッツ・フォン・エリック一家を描いた映画「アイアンクロー」を見たところで、人間の生とは、家族とはとしみじみしていたところだ。埼玉の実家近くの病院に車を飛ばして駆けつけた。休日とあってピンクのアロハにビーチサンダル、われながら「父危篤」に相応しくない、ファンキーすぎる格好だった。 実家のそばに住む姉と医師の話を聞いたのだが、95歳という年齢もあって「無理な延命措置はしない」などシリアスな確認も迫られた。昏睡(こんすい)状態の父に呼びかけても、意識は戻らない。医者に確認すると「危篤です」と言う。結局、その晩は、よくドラマや映画で見るように、まんじりともせずに病院のソファで夜を明かした。 翌日は楽しみにしていた工藤静香のコンサート取材を同僚に代わってもらって、92歳の母をケアした。父と対面させて、あとは時間の問題と覚悟した。 ところ週が明けて、確認すると血中酸素の濃度が上がり、肺炎も少しずつ良くなっているという。それでも、年齢もあって医者は「危篤」と言う。しかし、コロナ禍以降の影響もあり、病室には入れるのは2人だけ。つまり、姉と母と3人一緒で病床の父と対面することはかなわない。しかも、危篤なのに見舞いは週に2回、10分だけだという。 なんだかなぁと思いながら、母を父の病室に連れて行って、スマホを開いてLINEのビデオ通話で、姉とめいに実況中継した。泣きながら「お父さん」と呼びかける母を映しながら、姉とめいにアレコレと説明した。 そして、これは本当に悪い癖なのだが、突如として、不思議な感覚に襲われた。父が死線をさまよう状況なのに、声をかけることもせずにスマホで中継って…。葬式で笑いが込み上げる漫画家の蛭子能収さん、言ってはいけないことを言ってしまう元お笑いコンビ、プラスマイナスの岩橋良昌…。過去にインタビューした、彼らとどうやら同じ種類の人間らしい。ニヤニヤしながらスマホを構える姿に、看護婦さんが引いていた。 そして、父は「危篤」という名の小康を保っているので、明日から仕事に復帰することにした。よく、芸能人は「親の死に目に会えない」と言われる。実際、今月4日に亡くなった唐十郎さんの長男・大鶴義丹は最後の瞬間に立ち会えなかった。出演していた舞台「後鳥羽伝説殺人事件」の初日が終了した時間に、唐さんは亡くなったという。唐十郎、李麗仙という希代の名優の間に生まれた“舞台の子”大鶴義丹ならではと、その会見を取材しながら深くうなずいた。 では、サラリーマンと専業主婦の間に生まれた芸能記者はどうなるのだろうと、この先の取材予定を確認してみた。「歌とダンスと笑いのエンターテインメント」「謎の台湾人俳優」「ワハハ本舗」「相撲部屋でチャンコ会」と、全て仕事絡みなのだがシリアスには縁遠い。正義感を持って世の不正をただす社会部記者でも、大きな感動とドラマを伝えるスポーツ記者でもない。放送とお笑いを主にやって来た芸能記者の仕事はこんなものだ。予定を聞いた姉にあきれられた。 1週間以上に後に「八神純子コンサート」と、少しはシリアスっぽい予定が入っていた。親の亡くなった瞬間が芸人の取材だったらどうしよう。それも、「らしい」かと考えさせられた「父危篤」だった。【小谷野俊哉】