「言ってることとやってることちゃうやん」テレビっ子の私を、画面の中で発光し照らしてきた方々のこと【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「ブラウン管にとまる少年A」です。「あさイチ」に出演するたび、Xをざわつかせているお涼さん、あの方との対面に至るまでのお話。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし 電源オン→ホームボタン→録画番組→再生。 目が覚めて、顔を洗って、保湿して、お湯を沸かしている間にヨーグルトにフルーツと豆乳とはちみつとシナモンを入れた朝ごはんをつくり、コーヒーを淹れてからちゃぶ台の前に座ると私はいつもリモコンのボタンをこの順番で押してテレビをつける。 そして、前日に録画しておいたテレビ番組を1~2時間見る。これが私の日課であり、思えば子どもの頃の日曜日の朝、目覚まし時計をかけて早起きし、戦隊ヒーロー、仮面ライダーからのおジャ魔女どれみの流れに乗る習慣が今も続いていて、私は生粋のテレビっ子。テレビに育てられ、テレビと共に成長し、大事なことは大体テレビから教わったと言っても過言ではないほど、私とテレビは相関していて、昨今のテレビ離れという言葉に一番ピンときていないと言っても過言ではないほど、今もテレビはマブダチなのです。 そんな私がザ・テレビに関わることになったのはこの3、4年の話で、それまで俳優としてテレビドラマに出演したりはしていたけれど、いわゆるザ・バラエティ番組に素の坂口涼太郎として出演することはなかなかなく、ていうか、出たいと思ったことなんて一度もなく、何かの役柄を務めていないザ・坂口涼太郎のことなど知っていただかなくていいと思っていたし、作品の中では役名が私の名前だから、坂口涼太郎という屋号も別に覚えていただかなくてもいいし、お芝居の中に自分の意見を込めることができていたので、素の状態で改めて何かをお伝えしたいと思うこともなかった。 そんなテレビを貪る側の人間に徹していた私が、いまやお衣装もメイクもアクセサリーも振る舞いも、どやさどやさのスピリットで盛りに盛ってNHKの「あさイチ」で「おはようございます。デヴィッド・ボウイです」と大嘘の挨拶をかますことになっているのは、どういう風の吹きまわし? 言ってることとやってることちゃうやん。ジキルとハイドなの? と、はてなはてなが吹きすさび、ハンガーのように「?」のフック状の部分が体に引っかかってしょうがないことでしょう。 時は平成、学生時代。その頃放送していたテレビ番組といえば「うたばん」「トリビアの泉」「伊東家の食卓」「笑う犬の冒険」「水10!」「きらきらアフロ」「HEY!HEY!HEY!」「とんねるずのみなさんのおかげでした」「めちゃイケ」「タモリ倶楽部」など、今見ないでいつ見るねん、翌日の学校でネタバレをされる前に摂取しなくてはいけなくて必死。泣く泣く録画するにしてもビデオレコーダーでの録画になり、VHSはかさばるし、録画時間がいっぱいになり、めちゃくちゃいいところでカットアウトして悶絶するなど、リスクが高い。そうなると当然テレビ番組に合わせての生活になり、朝その日のテレビ欄をチェックし、帰宅時間を設定。この番組を見てごはんを食べ、CM中にお手洗いを済ませ、また次のCM中に冷蔵庫に麦茶を取りに行き、その次の番組に間に合うようにお風呂に入り、親に早く寝なさいと小言を言われながら部屋の電気を消され、真っ暗な中でブラウン管の光にだけ照らされ深夜番組を見て就寝するというスケジュール。今でいうリアタイの連続、エブリデイリアタイをしていたあの頃のテレビへの熱量を忘れない忘れたくない。たとえHDDへの自動録画になっても。 そんなテレビっ子の私にとって、テレビ番組に出演するというのは毎度一世一代のことで、とにかく全てを研ぎ澄ませ、常に一張羅を纏い、エクストリームな状態でテレビという箱ないし枠の中におりたい、おらねばいけないという掟があるのは、私が貪っていたテレビの中には日常では出会わないような、街中ですれ違わないような、唯一無二が集まる宝箱であったから。 例えば黒柳徹子さんがお召しになっているドレスや着物のテキスタイルや絵柄にときめき、楠田枝里子さんのその日の番組のテーマと合っているパリコレでも見たことないような斬新なイヤリングが楽しみだったし、紅白歌合戦での小林幸子さんと美川憲一さんのお衣装対決を見なければ年なんて越せなかった。街中にメガ幸子はいないし、ダイエーに髪の毛から飴を出す人はいない。でもテレビの中にはいる。それが楽しかった。