【和田彩花のアートさんぽ】「シュルレアリスムの紹介者」の面影を探して──福沢一郎記念館
大学院で美術史を学び、現在もさまざまなメディアでアートに関する情報を発信している和田彩花さん。2022年からはフランス・パリに長期滞在し、「アート」をキーワードにパリでの日々を綴った「和田彩花のパリ・アートダイアリー」を経て、和田さんの新エッセイがスタートしました。 【全ての画像】和田彩花のアートさんぽ/「シュルレアリスムの紹介者」の面影を探して──福沢一郎記念館 本連載では、展示内容や収蔵品、歴史や建物などに特徴がある都内近郊の美術館や博物館、ギャラリーなどを訪問。大規模な企画展が開催されているような美術館とは異なり、地域に根差した美術館や個性的なアートスポットを取材し、和田さん独自の視点でその魅力をご紹介します。 じっくりとアートと向き合う時間を過ごせる、お気に入りのスポットを探しに出かけてみませんか。(ぴあアプリ/WEBより転載) 5月に入ったあたりから住宅街で立派に咲き誇るバラを見かけるようになりました。春の暖かさが楽しいこの時期に向かったのは、世田谷区の祖師ヶ谷大蔵駅からほど近い福沢一郎記念館です。 ここは、昭和初期に活躍した前衛画家であり「シュルレアリスムの紹介者」と評されてきた福沢一郎のアトリエを改築した記念館です。福沢一郎についてはこの連載の第1回、板橋区立美術館の『シュルレアリスムと日本』展をご紹介した際にも取り上げましたが、そのことがご縁で今回の取材が実現しました。こちらは春と秋の2回のみ開館し、福沢作品にまつわる企画展示と福沢が教鞭をとった多摩美術大学と女子美術大学で「福沢一郎賞」を受賞した卒業生の作品を展示しています。 今回は、6月8日(日)まで(木・金・土のみ開館)開催されている展覧会『福沢一郎にとってシュルレアリスムとは何だったのか』について、福沢一郎記念館学芸員の伊藤佳之さんにお話を伺いました。 記念館の扉を開けるとすぐに、高い天井と大きな窓から明るい光の入る広々としたアトリエがあります。床、壁、大きな梁に使われた木材からゆったりした時間が流れ、中二階へ向かう階段が素敵な空間。床には、ここがアトリエだったことを示すようにカラフルな絵の具が残されたまま。 展示は、1931年1月「第一回独立美術協会展」で特別陳列された作品群の紹介から始まります。実作《煽動者》と、出品が確認されている作品の複製パネルを用いながら当時を振り返っていきます。 美術団体立ち上げに際して、パリに滞在していた福沢から送られてきたこれらの作品群は相当な衝撃とともに迎えられたようです。 「多くの画家が西洋美術で頻繁に用いられてきた裸婦像や、窓際に佇む女性の姿など日常に近い主題を扱うなか、福沢は人物や科学、機械などのモチーフを奇妙な組み合わせで描きあげました。これらのイメージがどれだけ奇天烈であったかを、当時を再現したイメージの集合体から見てほしいです」(伊藤さん) 全ての作品に描き込まれた西洋由来のモチーフを見ていると、福沢一郎がどんな気持ちで西洋文化を吸収しようとしたのか、また当時の日本美術界が必死になって目指したものが何であったかを考えずにはいられません。 福沢の作品に引用・コラージュされているモチーフの原典は、確認されているものが多いようです。「作意を入れず、手痕を残すように描いてしまうところ、元ネタを隠そうとしないこと自体、当時は違和感のあることだったと思いますが、そうすることによって、新しい絵画のありようを提案したかったと考えられます。こうした福沢の作品や手法は当時の若い画家たちに衝撃を与え、作風を真似て描く若者たちが現れました。次第に当時の画家たちのシンボル的な存在になっていったのです」(伊藤さん) 福沢一郎は、世間や社会を斜めに見ていくようなところがある作家だとも伊藤さんは話してくれました「第一次世界大戦後の混沌とした時期をフランスで過ごし、日本では触れられない思想や芸術運動を目の前に、“今”できること、やるべきことを大切にした画家でもあります。『第一回独立美術協会展』で出品された作品の制作を通して、批評的なエッセンスが形づくられたといえるかもしれません」 日本に帰国後、福沢の批評性が本領発揮されていくようですが、風刺の表現が変わっていきます。具体的なモチーフの奇妙な組み合わせを多用した画面には、当時の話題の場所であった「ちづかや総本店」のある街の風景などが描き出されていきます。 「芸術や自由への弾圧が強まっていく時代背景で、描きたいものをオブラートに包むような福沢の表現を見ていくことができます。」(伊藤さん) さらに、モチーフは象徴的なものへ変化していきます。飛行機の骨組みや穴だらけの人体など、じっくり観察しなければわからないものばかり。次第に戦争の波に飲み込まれていく時代背景のなかで、理想と現実のギャップや国の掲げるものと真意のずれなどを表現していると解釈されることが多いのだそうです。 福沢はまた、絵画制作と並行して著書『シュールレアリスム』や福沢が影響を受けたマックス・エルンストについて執筆した『エルンスト』を刊行し、新しい芸術を目指す若い世代に向けて情報を発信しました。 精力的に前衛画家として制作活動をしていた福沢ですが、この取材で何度も伊藤さんから聞いた言葉は次のようなものでした。「彼自身がシュルレアリスムという芸術運動を広めようとしたということではなく、新しい絵画のあり方の一側面を照らしてくれるもの、ありきたりの概念や価値判断に捉われず、果敢に新しい表現、新しい考え方を提示していく、そのきっかけとしてシュルレアリスムがあったのだと思います」 アトリエと隣接した小さなお部屋では、福沢一郎旧蔵の書籍やコレクションされたキリスト磔刑の彫像なども展示されています。 展示ケースを覗くと、イラストが一部切り抜かれている科学書を発見しました。これは、福沢が切り出したモチーフの一部だそうです。 「この本は、当時よく売れていた自然科学の啓蒙書『大洪水以前の地球』で、エルンスト作品のモチーフの原典であることがわかっています。福沢はこの本をパリで見つけたのですが、エルンストがなぜこの本を引用したのか、その意味も考えたと思うんですね。福沢が考えるエルンストの仕事の新しさとは、ちょっと昔の科学とか、ちょっと昔の泰西名画とか、そういうものの権威を切り貼りすることで一旦解体し、奇妙なモチーフとして置き換え、そこから感じられる違和感や衝撃が作品になることだったのではないかと考えられます」(伊藤さん) コラージュが、意味や価値までも別のものに変容させてしまえる手法だったことに驚きました。 その後の福沢の画業を知りたくなった私は、記念館に並べてある図録を開きました。思ったよりも画風の変化がかなりある。それに、その後のアメリカ滞在制作を経て、画面が軽やかになっている驚き。令和から見てもかっこいいと思えるものも多く、「今」描けるものを追求したという言葉が腑に落ちた瞬間でした。 とはいえ、人間のモチーフや作品にひっそり込められた批評性はいつも私たち人間社会に向いたものである点はずっと変わらないようでした。変化が求められがちな令和で、柔軟に変化しながら、一番大切なものことを見失わない力を福沢一郎の作品から学びたいです。 取材がひと段落すると、福沢一郎のご親族で記念館館長である福沢誉子さんがお茶菓子を用意してくださいました。 そんなとき、伊藤さんが教えてくれた福沢一郎のアトリエに居座る池袋モンパルナスの画家たちのことを思い出しました。 「アトリエでは、福沢がパリで買ってきたさまざまな画集を見られました。それから、福沢の奥さんがお茶菓子を出していたようで、朝から晩まで画家たちが過ごすような場所にもなっていました。いつまでもいていいけど、本を外に持ち出すことだけが禁止だったようです。」(伊藤さん) 庭から摘まれたバラの香りに癒される取材終わり。美味しい和菓子と一緒に素敵なお話しを聞かせてくださる館長の福沢さんの姿を見ていると、若い画家たちが福沢一郎の元に集まった理由がわかるような気がしました。 ■福沢一郎記念館 1930年代に日本にシュルレアリスムを紹介し、前衛美術運動の主導者として活躍した福沢一郎(1898~1992)が使用したアトリエ、書斎、居室の一部などを改装し1994年に開館。年2回、福沢一郎作品を中心とした絵画の企画展示や講演会などを行っている。ライブラリーでは福沢一郎の作品集、展覧会の図録をはじめ、福沢が所属していた書籍なども閲覧することができる。 【展覧会情報】 『シュルレアリスム100年記念特別企画 福沢一郎にとってシュルレアリスムとは何だったのか』 会期:2024年5月9日(木)- 6月8日(土)※木・金・土曜日のみ開館 時間:13:00 ~17:00(入館は16:30まで) 料金:300円 「日本における本格的なシュルレアリスム絵画の紹介者」と評されてきた福沢一郎。1930年代当時の日本のアートシーンに大きな衝撃をあたえた「第1回独立美術協会展」の出品作の複製パネルをはじめとするシュルレアリスム作品や、未公開の福沢旧蔵文献資料などをから、福沢の考える「シュルレアリスム」とはどのようなものだったのか、「シュルレアリスム絵画」で実現したかったことなどについて考察する。 ■プロフィール 和田彩花 1994年生まれ。群馬県出身。2004年「ハロプロエッグオーディション2004」に合格し、ハロプロエッグのメンバーに。2010年、スマイレージのメンバーとしてメジャーデビュー。2015年よりグループ名をアンジュルムと改める。2019年にアンジュルム及びハロー!プロジェクトを卒業し、以降ソロアイドルとして音楽活動や執筆活動、コメンテーターなど幅広く活躍。2022年、フランス・パリへの留学を経て、2023年にはオルタナティブバンドLOLOETを結成。2024年4月からは愛知、京都で初のライブツアー「LOLOET NEW TRIP TOUR 1」を開催。