カーター元米大統領が死去 100歳 2002年にノーベル平和賞
米国で第39代大統領(1977~81年)を務めたジミー・カーター氏(民主党)が29日、100歳で死去した。存命の米大統領経験者で最年長だった。非政府組織(NGO)カーター・センターが発表した。 【写真で振り返る】キング牧師と抱擁を交わすカーター元米大統領 1期4年で退任したが、その後の北朝鮮訪問など民間外交が高い評価を受けた。2002年には、国際紛争解決への尽力などでノーベル平和賞を受賞。「史上最高の元大統領」と呼ばれた。 南部ジョージア州生まれ。海軍兵学校を卒業後、海軍に勤務し、退役後は故郷で家業を継いでピーナツ農家になった。その後政界入りし、同州上院議員を務めた後、71年に同州知事に就任。76年の大統領選に向けた民主党の候補者争いに名乗りを上げた。 中央政界では無名だったが、ウォーターゲート事件やベトナム戦争の事実上の敗北などで既存政治への批判や社会の疲弊ムードが高まる中、清新なイメージが有権者の心をとらえ、民主党の候補指名を獲得。本選では、現職のフォード大統領(共和党)を破って当選した。 大統領在任中は「人権外交」を提唱し、イスラエルとエジプトの歴史的和解となった「キャンプデービッド合意」(78年)を仲介した。ただ、イラン革命(79年)やソ連によるアフガニスタン侵攻(同)などの対応に追われ、景気後退とイラン米大使館人質事件の救出作戦失敗が響き、支持率が下落。再選を目指した大統領選(80年)で共和党のロナルド・レーガン氏に敗れた。 大統領退任後は、82年に設立した非政府組織「カーター・センター」(ジョージア州)を拠点に、紛争調停や人権の擁護、選挙監視など民間平和外交に積極的に取り組んだ。94年には、核開発を巡り米韓と一触即発の状態となった北朝鮮を訪問し、金日成(キム・イルソン)主席(故人)と会談。一定の譲歩を引き出した。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では仲介役として停戦を実現させ、国交のなかったキューバも訪問した。こうした民間外交が02年のノーベル平和賞受賞につながった。 北朝鮮には10、11年にも訪れ、11年12月に金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去した際には弔電を送った。 近年は健康状態が悪化し、カーター・センターは23年2月、カーター氏が残された時間を自宅で家族と過ごし、ホスピスケアを受けると発表。同様に自宅でホスピスケアを受けていた妻ロザリンさんが23年11月19日に死去し、カーター氏は葬儀に車いすで参列していた。