【書評】北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのか:渡辺周著『消えた核科学者 北朝鮮の核開発と拉致』
科捜研の鑑定は「同一の可能性がある」
しかも、核開発に関与させられた疑いのある日本人は、竹村氏だけではなかった。2009年4月、北朝鮮は長距離弾道ミサイルの発射実験を行った。このとき、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』は、金正日総書記が科学者と写った集合写真を掲載したが、その中に1982年に失踪した日本人と似た人物がいたのである。 その人物は当時23歳で、関東学院大学卒業直後、自動車部品メーカーの入社式を控えていたのに失踪した。彼は工学部機械工学科計測制御室研究室で「ロボットアーム」の研究をしており、その技術は「原子炉の燃料棒を出し入れする際に使われる。原発には必要不可欠な技術だ」という。科学捜査研究所の鑑定では本人と新聞の顔写真とは「同一の可能性がある」というものだった。 さらには1983年、福井原発の点検作業と修理を担当する23歳の工員が謎の失踪をとげ、88年には鳥取県で35歳の精密機械工が行方不明になっている。 本書で明らかにされたこうした事実は、何を意味するのか。著者は、取材を進めるにつれ、北朝鮮の核開発に関わる重大な疑念が存在するにもかかわらず、捜査当局による行方不明者事件の捜査はまったく進展していないことも明らかにする。むしろ、日本政府にとって不都合な真実は隠蔽(いんぺい)されてきたのか。 著者はどこまで真相に迫ったか。われわれはその闇の深さに愕然(がくぜん)とすることだろう。拉致と日朝交渉の経緯に関心のある読者には、類書として朝日新聞元ソウル特派員の鈴木拓也著『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の真相』(朝日新聞出版、2024年2月28日刊)を推しておくが、両書を読むと、拉致問題の全容解明はほど遠いといわざるをえない。
【Profile】
滝野 雄作 書評家。大阪府出身。慶應義塾大学法学部卒業後、大手出版社に籍を置き、雑誌編集に30年携わる。雑誌連載小説で、松本清張、渡辺淳一、伊集院静、藤田宜永、佐々木譲、楡周平、林真理子などを担当。編集記事で、主に政治外交事件関連の特集記事を長く執筆していた。取材活動を通じて各方面に人脈があり、情報収集のよりよい方策を模索するうち、情報スパイ小説、ノンフィクションに関心が深くなった。