ジャージー乳で作ったアイスに法体の滝、謎の大陸将軍の墓 鳥海高原で緑の風に吹かれる 味・旅・遊
グリーンラインを日本海に向かって南由利原から県道287号に。高原を下った鮎川沿いの里山は色とりどりの新緑におおわれ、錦の紅葉にも勝る美しさだ。その道沿いに立派な伽藍(がらん)の瑞光寺と、門前に「万箇(ばんこ)将軍の墓」の看板がある。
聞きなれぬ名の将軍は、108段の急な石段を上った寺の裏山に眠っていた。コケむす墓石わきに説明板がある。聖武天皇の天平5(733)年、暴風雨で船が難破した大陸の使節が、陸路を寺までたどり着いたが、特使の将軍はここで病没。当時の住職が手厚く葬り、将軍の遺言で献上品を都に届けたという。
高橋利寿(りじゅ)住職(70)は「南北朝時代の合戦で寺は焼けて詳しい記録は残っておらず、どこの国かもわからないが、万箇とは万騎を率いた立派な将軍の意。享保18(1733)年に1千年忌を営み、今も供養を続けている」と話す。
大陸にあった渤海(ぼっかい)国(7世紀末に中国東北部を中心に建国)の使節を上陸地でもてなすため、朝廷が出羽柵(でわのさく)(朝廷が設けた役所機能を持つ拠点)を山形・庄内から秋田市の秋田城に遷(うつ)したのが天平5年。名も知れぬ将軍は、渤海使だった可能性が高い。
友好国渤海の縁(えにし)が、秋田城だけでなく鳥海山麓にも人知れず残っていたことは、ちょっとした驚きだ。(八並朋昌)