戸郷翔征、たたき上げた巨人の若きエース 「沢村栄治以来」の快挙も
球団創設90周年の節目に、時空を超えるような快挙を成し遂げた。巨人の戸郷翔征投手(24)。5月24日に敵地の甲子園球場で行われた阪神戦で、プロ野球草創期に活躍した沢村栄治投手以来、88年ぶりに「巨人の投手による甲子園でのノーヒットノーラン」を達成した。しかも、スコアが同じ「1-0」。戸郷はドラフト6位で2019年に入団して6年目のたたき上げ。若き本格派右腕は、伝統球団のエースへと成長した。(時事通信社 木瀬大路、小松泰樹) 【写真】全国高校野球選手権の早稲田佐賀戦で力投する聖心ウルスラ先発の戸郷翔征=2017年8月 今年はプロ野球90周年でもある。野球殿堂博物館のホームページ(HP)によると、「日本プロ野球の誕生」は1934年。その年の11月、ベーブ・ルースらを擁した米大リーグの選抜チームが来日して全日本チームと試合を行い、16戦全勝。12月に巨人の前身となる大日本東京野球倶楽部が誕生した。巨人のHPでも「巨人軍年表」の中で、大日本東京野球倶楽部の創立総会が開かれた34年12月26日を「巨人軍創立記念日」としている。 大リーグ選抜に全敗した全日本にあって、静岡県の草薙球場で11月20日に行われた試合では、当時17歳の沢村が力投。ルー・ゲーリッグの本塁打による1失点(0―1)で惜敗したが、ルースらを抑えた一戦は今も語り草となっている。沢村はその後、東京巨人(現巨人)に入団。36年に東京巨人、大阪タイガース(現阪神)、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団によって日本職業野球連盟が創立され、プロ野球のリーグ戦が始まった。 ◆引き継がれた伝統の一戦 36年9月25日、沢村が甲子園での大阪タイガース戦でプロ野球第1号の無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を達成した。言い伝えられている沢村の印象は、快速球と「懸河のドロップ」。ドロップとは、今ならば縦に大きく割れるカーブか、スピードが伴うなら切れ味鋭い縦のスライダーか。対するタイガースは豪打で鳴らし投手も務めた景浦将が中心。同年12月には、今や幻の洲崎球場(東京)で両チームが優勝決定戦を行い、沢村が力投して2勝1敗で巨人が頂点に立った。 沢村と景浦は年齢も近く、ライバルとして互いに火花を散らした。それはそのまま、チーム同士にも波及。伝統の一戦として今も引き継がれている。巨人の初代エースでもあったは沢村は37年5月、洲崎球場を舞台に再びタイガース戦で2度目のノーヒットノーラン。40年7月には、出征の影響で全盛期の速球が影を潜めながらも3度目のノーヒットノーランを記録した。 ◆最少得点で「集中力が増した」 伝説の名投手が輝きを放っていた昭和10年代から、時間軸を令和の今に戻す。巨人の現エース、戸郷の持ち味は長身(187センチ)から投げ下ろす150キロ前後のストレートと、落差の大きいフォークボール。身長の差(沢村は174センチとされている)こそあれ、イメージ的には「初代」と重なり合うかもしれない。 大記録をつくった甲子園では、相手打者が思わず反応して凡打に終わる絶妙のコースに制球。「真っすぐが良ければ、他の変化球も効いてくる」。キャンプから質にこだわってきた直球を軸に押して、得意のフォーク、さらにスライダーもさえ、球数を抑えてテンポよく打ち取っていった。ただし味方打線の調子は上向かず、援護は五回の1点だけ。最少得点を守らなければ、という試合展開も「逆に集中力が増した」と奏功した。 ◆腹をくくってフォークで勝負 ラストの九回、四球と犠打で1死二塁のピンチ。近本光司選手を一直に仕留めた後、迎えた2番の中野拓夢選手に対し、自身が「一番の持ち味」と信じるフォークで勝負した。「腹をくくった。これで打たれたらしょうがない」。空振り三振。マウンドではポーカーフェースを貫く戸郷も、この時ばかりは破顔した。 123球。許した走者は、失策で出た2人と四球の1人。阿部慎之助監督は、5回2失点で黒星(0―2)となり球数が100球を超えた前回登板を踏まえ、「自分で思うようにいかなかったが、それを(次の登板で)修正できるすごさがある」と評価。巨人生え抜きのOBでもある同監督は、指揮官として初めて経験した自チームの投手によるノーヒットノーランに「すごいことだよ。泣きそうになっちゃったよ」と感極まった。 ◆U18代表の相手チームで片りん 宮崎県出身の戸郷は、延岡市の聖心ウルスラ高2年生だった2017年夏に甲子園に出場。1回戦で完投勝ちし、12年ぶり2度目の大舞台となった母校に初白星をもたらした。同校は2回戦で敗退し、3年生の時は甲子園出場がかなわず、アマチュア全体で見れば評価が高かったわけではない。ただ、長い腕を生かしたダイナミックながらもやや変則的なフォームは、打者にとってタイミングが取りづらいという個性があった。戸郷によると、今の投球フォームは高校時代に球速を上げようと試行錯誤してたどり着いたのが原型となっている。 18年にU18(18歳以下)アジア選手権に臨む高校日本代表の壮行試合で、宮崎県選抜チームの一員として登板。六回途中まで投げて2失点、9奪三振と才能の片りんを見せ、秋のドラフト会議で巨人から6位指名を受けた。支配下契約では最も下位。滑り込むようなプロ入りから、たくましくはい上がっていった。 ◆プロ初登板は異例の抜てき ルーキーイヤーの秋、驚きのデビューを果たす。19年9月21日、巨人が5年ぶりのリーグ優勝へ「マジック2」として迎えた2位DeNAとの一戦でプロ初登板、初先発。チームが勝てば優勝という大一番だ。異例の抜てきに応え、勝敗は付かなかったものの4回3分の2を投げて2失点。巨人が九回に追い付き、延長十回に勝ち越して3―2で優勝を決めた。 環境にも慣れ始めた2年目は先発ローテーションに定着し、9勝(6敗)をマーク。21年にも9勝(8敗)を挙げると、22年からは2年連続12勝。大黒柱として巨人の投手陣を支えてきた菅野智之投手を引き継ぐエースと期待されるようになり、今季は自身初の開幕投手を務めた。 ◆菅野と戸郷、節目で大役 菅野は球団創設80周年の14年シーズン、初めて開幕投手となり、その後は揺るぎのないエースに。そして90周年は戸郷。ともに巨人にとって節目の年に大役を担った。菅野は、今季開幕前の激励会で「90周年へとバトンを渡せる。頑張ってほしい」と戸郷にエールを送った。 2年連続Bクラスからの巻き返しへ、新時代のけん引役を託された右腕に対し、阿部監督は厚い信頼を寄せる。戸郷が新人だったシーズンを最後に現役を退いた同監督は「開幕投手に指名したのは自分です」と明かした。「ジャイアンツの投手陣を引っ張っていく存在だから。そういう意図は本人も気づいてくれているはず」 ◆WBCへ「また出たい」 近い将来の米大リーグ挑戦も視野に入れている戸郷。昨年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表「侍ジャパン」のメンバーに選出され、米国との決勝で2回を無失点に抑えるなどして優勝に貢献した。この経験が、もともと胸に秘めていたメジャーへの夢を膨らませることになった。 26年に開催予定の第6回WBCに向けても、さらなる意欲を示す。「ああいう国際大会が僕を強くしてくれた。また出たいというのが素直な気持ち」。今季から大リーガーとして羽ばたいている山本由伸投手(ドジャース)、今永昇太投手(カブス)も同じWBC戦士で、ノーヒットノーラン達成者でもある。山本は22、23年と2年連続だった。戸郷もその領域、さらには沢村と元広島の外木場義郎さんだけが記録した最多3度目(外木場さんは完全試合を含む)へと、腕を振り続ける。