他人事だった球界再編…数か月で“立ち上げ”も人員4人 「秋季練習? 何やるんですか」
2004年に誕生した楽天で、初代球団代表を務めた米田純氏
2004年はプロ野球史に残る1年となった。1月の日本ハムの北海道本拠地移転に始まり、近鉄とオリックスの経営統合、1リーグ制の危機、球界初のスト決行。2リーグ制維持のために新規チームを募り楽天が誕生と連日、世間を賑わせた。球団再編から20年の節目である今年、改めてこの出来事を振り返る。楽天野球団初代代表の米田純氏に話を聞いた。 【動画】「マジで国宝級」仙台でのミニスカ姿の“恥じらい”始球式 人気沸騰で300万回再生 米田氏は、1963年神奈川県生まれ。早大卒業後にセゾングループ傘下の西武百貨店に新卒入社し、紳士服売り場での4年の経験を経て、営業本部のマーケティング部門を担当した。転機が訪れたのは2003年2月のことだった。 「西武百貨店で一度購入したお客様に、リピーターになってもらうためにどうするのか、既存顧客をどう活性化するかというリテンションマーケティングを担当しました。それを百貨店ではなく、デジタルの世界でやりたいと思い始めた時に、楽天という企業と出会いました。ちょうどそういった部署を作ろうとしていたようで、(楽天創業者でオーナーの三木谷浩史氏と)意気投合して入社に至りました」 当時、時代の寵児としてメディアでも大きく取り上げられる楽天に入社を決めた。入社後はメンバープログラム部の立ち上げに参画。ポイントプログラムのプロモーションを担い、2004年春頃には軌道に乗せた。 「その年の夏頃から近鉄球団の消滅の話が浮上しましたが、そこまで楽天で球団を持つという話は全然なく、私自身も『そうか、球界再編が始まったのか』という目で見ていました。ある時、社長室長に呼ばれ、『もし球界参入することになったらやる?』と聞かれ、『それはもちろんやりますよ』と二つ返事で答えましたね」
六本木ヒルズの会議室「プロ野球準備室」で始まった球界参入作戦
野球界に携わることは米田氏の積年の夢だったという。「西武百貨店在籍時にも、西武の優勝セール企画を担当し、なんとかライオンズで仕事ができないかと西武の球団代表に交渉したことがありましたが、できなかったことなので。もちろん、デジタルマーケティングに従事しようと楽天に入っていますから、またアナログなところに行くのかという気持ちも少しはありました。でもそれ以上にプロ野球の仕事がしたかったんです」 新規参入するにもベースがない状態からのスタート。堀江貴文社長(当時)率いるライブドアが新規参入に動いているという情報も、もちろん耳にしていた。 「ただ僕らはもう自分たちが参入するもんだと思って、『プロ野球準備室』というプロジェクト名で監督などの組閣準備をしていました。まだ(ライブドアと)どっちになるかはわからなかったですが、やるつもりでしたね。2004年の春に引っ越した六本木ヒルズのオフィスの、シドニーという会議室で寝ていたことはいまでも思い出しますよ。大変だけどみんな上り調子というか、生き生きとしていたんです」。米田氏39歳のチャレンジ。米田氏を除いたプロ野球準備室のメンバーはわずか3人ほどだったという。 当時を思い起こすと大変なことだらけで、とにかく何をやればいいのかわからなかったと米田氏は笑う。 「僕は、マーケティングが専門ですが、一切マーケティングの“マ”の字も出てこないような仕事内容で。例えばチーム運営で、どこのホテルに泊まって、部屋を決めてとか、ホワイトボードをどのフロアに置くのかとか、他の業界でどこも通用しないようなメソッドです。こういう世界があるんだと思いました。僕は大学時代に準硬式野球をやっていたものの、プロ野球選手だったわけでもなければ裏方で働いていたわけでもないので、そういう意味ではド素人ですよね」