<私の恩人>嘉門達夫 名付け親は桑田佳祐さん 「サザン」の曲も好きに使っていいと許された
そんな中、1981年に桑田さんが海外の曲のカバーコンサートを東京と大阪でやることになって、大阪会場は梅田の堂山にあった「バラード」というところやったんですけど、そこで前座をさせてもらうことになったんです。 当時は、本名の「鳥飼達夫」という名前で出たんですけど、桑田さんが「鳥飼って、本書きみたいでカタイよね。名前、変える?」とおっしゃいまして。 最初は「“カメリア・ダイヤモンド”はどう?」と言われたんですけど、丁重にお断り(笑)したところ、「じゃ、こっちは?」と言っていただいたのが、桑田さんが海外曲のカバーをやる時に使っていた「嘉門雄三」という名前だったんです。全部いただくのも申し訳ないし、紛らわしい部分もあるので、結局、「嘉門」の部分だけいただくことになりました。 当時、僕が23歳、桑田さんもまだ26歳でした。そこから、お付き合いは30年以上になりました。僕が替え歌を作るようになった際も「サザン」の曲は好きに使っていいとの許しを、ご本人からいただきました。 替え歌をリリースする時、一番大変なのが関係各所に権利関係の許諾を取ることなんですが、おかげさまで、桑田さんのたった一言で使わせてもらっています。 出会った頃から大きかった背中が、30年経っても大きくなるばかり。この人から名前をもらい、この人の近くにいられる幸運というのは、いくら感謝してもしきれないもんですね。 (聞き手/文責・中西正男) ■嘉門達夫(かもん・たつお) 1959年3月25日生まれ。大阪府茨木市出身。本名・鳥飼達夫。大阪府立春日丘高校在学中の75年、落語家・笑福亭鶴光に入門。笑福亭笑光の名前をもらう。78年、MBSラジオ「MBSヤングタウン」のレギュラーになるも、80年に破門となり落語家を廃業。その後、全国放浪生活を経て、芸能事務所「アミューズ」の契約社員となり、桑田佳祐に出会う。83年、嘉門達夫として『ヤンキーの兄ちゃんのうた』をリリースし、読売テレビ有線放送大賞新人賞などを受賞。92年にはNHK「紅白歌合戦」に出場する。30周年記念シングル『笑う門には福来る』が発売中。また30周年ライブを、9月7日に東京・マウントレーニアホール渋谷で開催する。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。