「つくれば客は来る」バンドン・デューンズ・ゴルフリゾート成功の秘密
HBSへの進学をやめて起業
■HBSへの進学をやめて起業 ゴルフコースのデベロッパーとして名を上げることになったカイザーだが、彼自身、若いころからそうした未来を思い描いていたわけではない。1971年、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)への入学を控えていた彼は、自分が特にHBSに行きたいわけではないということに気がついた。そして、入学を前に大好きなスキーを楽しむために訪れていたコロラド州で、別の進路を思いついた。グリーティングカード(あいさつ状・御礼状)事業だ。 「父は驚愕していました」 カイザーはそう当時を振り返る。 「父はペンシルベニア大学ウォートンスクールを卒業していましたから、息子の私がビジネス・スクールにすら進まずに、まったく未知の分野であるグリーティングカードの会社を立ち上げるなんて、どう考えても理解不能だったのです」 不安はあったが、カイザーはパートナーのフィル・フリードマンとともに、それぞれの父親を説き伏せて手にした約5000ドル(現在の価値にして約4万ドル)でリサイクルド・ペーパー・グリーティングス(RPG)を立ち上げた。ただし、スタートしたばかりのころの業績はさんざんだった。100%リサイクルの用紙に印刷されたカードが受け入れられないことに気づいていなかったのだ。 だが、カイザーとフリードマンは1975年、イェール大学出身で、ユーモアあふれる動物のイラストと気のきいたメッセージが得意なサンドラ・ボイントンと出会った。後に『ムー、バー、ラララ!』『フィラデルフィア・チキンズ』(いずれも未邦訳)といった名作絵本を世に出すことになるボイントンが、RPGのためにカードのデザインを始めたのだ。80年代半ばには、RPGは年間売り上げが1億ドルを超えるまでに成長したが、それはほぼ全面的にボイントンのおかげだとカイザーは話す。彼は、グリーティングカードの女王の異名をとるボイントンのことを、こう語る。 「当時も天才でしたが、今も天才です。バンドン・デューンズ建設のための十分な資金を用意できたのは、彼女のおかげです」 最終的にカイザーとフリードマンはグリーティングカード事業を、2005年に2億5000万ドル(現在の価値で約4億ドル)でプライベート・エクイティ・ファンドに売却した。