両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.28
不屈の日本男児
本間が男のロマンの城を建設しようと定めた物件は、デンバー市南西部の野原に立つ朽ちかけた金鉱選別工場の建物であった。そこは寂れた地域であったがゆえに都市再開発特別地区に指定されており、その土地購入に際しては極めて低金利な公的融資を市から受けることが出来た。 また、デンバー市には起業家支援資金という貸付制度があった。その融資を受けるに際しては、ボランティア活動の実績が評価された。それまで日本館は市公園の整備活動(植樹や掃除)や、川に架かる橋のペンキ塗り作業など道場開設以来13年間にわたり行ってきた。その活動実績が約7000万円の評価となり担保された。 銀行の低金利の融資、公的融資、そして弟子達からの寄付により、土地と上物建物の購入は順調に進んだ。だが大道場やレストランそして伝統民具展示舘等の全面改築工事の予算は無い。その工事は自力でやるしかないのだ。 新道場の改修工事現場で本間は弟子達の先頭に立って働いた。彼らはその日の作業が終わると、疲れ果てて作業現場にそのまま寝転び眠った。やがて弟子達は互いに頭を坊主頭に刈りあい、ハチマキをして「特攻隊」的形相で作業をするようになった。他のボランティアの男達もそれを真似て頭を丸め始めた。 1カ月後、強欲アルメニア人オーナーによる旧道場追い出しにぎりぎりまで粘り、内装未完成の新道場に辛うじて引越しをすることが出来たのであった。
廃材・中古材で建設した田舎風家屋
日本館のそれぞれの施設は古びた風情ある作りで人気なのだが、何故それが可能になったのだろうか。本間は「ピンチはチャンス」に変える天才である。彼がチャレンジしたのは廃材類の再利用だ。大道場の正面の柱には長さ30メートルの松の木を使った。 この大木はデンバー市内の公園にあったものだが、樹齢を重ねたため伐採することに決まったものを、本間が引き取り再利用した。 そのほかの木材も中古材をただ同然で買い付け、バーナーで焼いてブラシをかけ、蝋燭を塗って手で磨いた。その作業によって古材は日本の田舎風家屋の風情となって甦った。 またその頃、デンバー市内の歩道に使われていたサンドストーンという自然石の大きな敷石(約1.5メートル四方)が、剥がされて処分されることになった。デンバーでは歴史保存地区以外の敷石歩道は、所有者が変わる場合はコンクリート道にしなければならない規則があった。段差の付いた敷石は身体に障害のある人達の通行を妨げるというのがその理由だ。それは何かに使えると直感した本間は、確保した敷石をきれいに磨き上げてレストランの野外テーブルに再利用した。 一番大変だったのは160畳の大道場の床だった。合気道場なので畳かマットを床に敷きつめる必要があったが、そんな金はどこにもない。代用として古いカーペットを何枚も重ねて敷き詰める方法もあるが、それをするには大量の枚数が必要だ。道場生にかき集めさせたところでたかが知れている。その床材調達方法はこの本部建設工事開始当初から思案していたのだが、本間には名案が浮かばなかった。 その頃、日本館の顧問を務めていた鈴木隆之氏が建設工事の見学に来た。同氏は当時コロラド日系企業懇話会の会長を務めていたが、本間と同年代であり長年の友人であった。 鈴木氏が道場の工事の様子を見て言った。 「道場のフロアーはどうするの。敷き詰める材料はあるの? 僕のビルのテナントさんが引っ越したので、カーペットを取り替えるけど結構良質のものが出るよ。300平米くらいあるけど使うかい?」 こうして、最大の難問は解決にいたった。
Project Logic+山本春樹