あの日の出会い 長く猫と暮らしてきた老夫婦にとって最後で最愛の猫「ラム」
ずっとおとなしかった子猫だが、列車に乗ったとたんに「ミャー、ミャー」と悲痛な声で鳴き出した。 長く猫と暮らしてきた老夫婦にとって最後で最愛の猫「ラム」 節子さんは動揺した。過去に猫を列車に乗せたことはないし、遠方から猫を譲り受ける経験もはじめてだ。子猫は、まだ自分を安心できる飼い主とは認識しておらず、将来が不安なのだろう。そんな子猫を、この状況下でどうなだめてよいかもわからなかった。
譲り受けることを決めた
今年80歳になった敏晴さんと節子さん夫妻は、昭和の古き良き時代に建てられた都内の一軒家に住む。現在一緒に暮らす「ラム」(オス、11歳)を迎えるまでには、4匹の猫と生活してきた。 初代猫が来たのは、40年近く前、息子たちが中学生だった頃だ。以来、近所の知人から譲り受けたり、ペットショップから迎えたりして増えていった。家の中には常に2、3匹の猫がいて、一時期は4匹全員がそろっていたこともあり、にぎやかだった。 13年前に3代目の猫が亡くなったとき、もう猫は迎えるのはやめようと夫妻は決めた。自分たちの年齢を考えてのことだ。あとは残った4代目の「レオン」(オス、当時10歳)を看取(みと)るだけのつもりだった。 だが、それから2年後、2013年の春のことだった。 仕事も引退し、パソコン教室に通うようになった節子さんは、気がつけばインターネットで猫の動画や写真をながめるようになっていた。そんなとき、たまたま節子さんの故郷である茨城県で、6匹の子猫の譲渡先を募集しているという情報を見つけた。 掲載されていたのは、愛くるしいまだ生後1カ月未満の子猫の兄妹たち。故郷で保護された猫であることと、子猫たちが茶色と黒の混じった中長毛猫という外見に節子さんは運命を感じた。節子さんは長毛猫が好きで、歴代の猫たちもそうだったからだ。 矢も盾もたまらなくなり、早速保護主と連絡を取った。敏晴さんとも相談し、子猫のうち1匹を譲り受けることに決めた。 最寄り駅から私鉄と在来線を乗り継ぎ、JR常磐線快速で約2時間、目的の駅に着いた。改札を出て階段をのぼった広場には、待ち合わせをした初対面の保護主が、オスとメスの2匹の子猫を連れてきていた。少し話をし、2匹のうちからオスの1匹に決めると、節子さんは自分のキャリーバッグに入れ、その足で再び東京行きの列車に乗った。 ずっとおとなしかった子猫だが、列車に乗ったとたんに「ミャー、ミャー」と悲痛な声で鳴き出した。 節子さんは動揺した。過去に猫を列車に乗せたことはないし、遠方から猫を譲り受ける経験もはじめてだ。子猫は、まだ自分を安心できる飼い主とは認識しておらず、将来が不安なのだろう。そんな子猫を、この状況下でどうなだめてよいかもわからなかった。 そのとき節子さんは、保護主から「車中で食べさせてください」と渡されたウェットフードの缶詰を思い出した。 まだ離乳食の子猫が缶詰を食べるのかと疑問だったが、節子さんは蓋を開けた。 家の猫たちには、専用の食器に適量をきちんと盛り付けて与えていた。缶ごと差し出すことに抵抗はあったが、キャリーバッグの中に置いた。 すると子猫は、ペロペロと夢中で食べ出した。食べながらも「ミャー、ミャー」と鳴き続けている。隣の席の客に「猫が鳴いてすみません」と謝ると、その40代ぐらいの男性は「気にされなくて大丈夫ですよ」と言って微笑んだ。 子猫は、鳴きながら缶詰を完食し、満足そうに口のまわりをなめ、のびをした。 この子はたくましい、と節子さんは感じた。その瞬間、子猫は節子さんの家の猫になった。