湘南ベルマーレのキム・ミンテは"日本サッカー用語"で流暢にコメント 来日当初の猛勉強のエピソードを語った
【ケガで日本語を猛勉強】 翌年、2015年の1月にプロ選手としてベガルタ仙台での日々が始まった。しかし日本到着の3日後、すぐに左ヒザを負傷してしまう。キャンプはすべて別メニューでこなさなくてはならなくなった。 「ここから、っていう時に......感情をどうぶつけたらいいのかわかりませんでしたね」 思うようにプレーできない時間。これを日本語の猛勉強に充てた。 「テレビやアニメを見て覚える。あとは、紙にとにかく単語を書き出しまくって、壁に貼ってひたすらに覚えましたね。"行く、来る""カバン"とか。いざ、その状況で思い出せるように、と......」 当時の日本のメディアには「安室奈美恵の歌やドラマ『ごくせん』を教材に」とも紹介された。 負傷は3月には癒え、2015年5月10日にはリーグデビューも果たした。その日にゴールを決める順調な滑り出し。結局シーズン合計16試合に出場、4ゴールを記録した。一方で戸惑いもあった。試合のテンポが速い。またシーズン終盤では、守備での弱点を突かれるシーンも散見された。 さらに、日本と韓国の文化ギャップを感じることもあった。 「チームメイトの試合に負けた後の雰囲気が少し緩い、と感じるところはありましたね。自分自身は外国人としてここでプレーしている。ましてや韓国で実績があったわけではなく、大学生の身分から始まっている。だからこそ、1試合でも負けたり、試合に出られないことは経験したくないという気持ちを強く持っていました」 しかし、日本でもがく時間はある結果をもたらしていた。 リオ五輪に向かうU-22韓国代表に招集されはじめたのだ。韓国では「一定水準以上の外国のリーグにおいて外国人枠でプレーしている」という点は「高い競争に打ち勝っている」と評価される向きもあるからだ。 初招集で、キム・ミンテはあることを感じた。 「俺、やれてる」 大学時代までの自分は、「高卒でKリーグに行けなかった存在」だった。だから年代別代表との練習試合などでは「何もやれない自分」を感じたりもした。「やっぱりあいつらうまいな」と。 しかしJリーグでの時間を経て母国の五輪代表に招集された際には、違うことを感じた。 「Jリーグのテンポってすごく速いんですよ。ボールが動くテンポが。韓国はどっちかというと"人が速く走る"感じで。日本は展開が変わったり、攻守を切り替えたりというのがすごく速いので、代表では自分のプレーが通用する実感がありました。初めて行った時も"次も行けるな"と感じたものです」