裁判官が謝罪「南北対立で国家暴力の犠牲に…」 「北朝鮮スパイ」捏造、被害者や家族の苦悩は今も続く【朝鮮半島と在日「スパイ」(下)】
中川さんは「南北対立は政治的なことだ。それに利用されたというのは、非常に納得がいかない」と憤る。さらに「謝罪を受けたからといって、父や家族の心の傷が癒えるわけではない」とも話した。 中川さんは、崔さんが釈放された後に移り住んだ神奈川県藤沢市で育った。「(一家は)韓国人のいる街で『アカ(共産主義者)の家』と言われるのを恐れて、日本人ばかりの街に住んだ。そのような街では私たちは韓国人であることで差別された」。30代半ばで韓国から移住した母は精神的に不安定になっていった。中川さん自身は小学生の時、上履きを隠されたり「国に帰れ」と言われたりするいじめに遭った。 中学のころは「悪い仲間と付き合い、不良のようなことをやって、その時は差別はなかった」と言う。高校生の時に父、崔さんが56歳で亡くなり、高校を中退した。 ▽約40人が再審で無罪確定 中川さんは、被害者らでつくる「在日韓国良心囚同友会」代表の李哲(イチョル)さん(75)=大阪市=に「家族のあなたも被害者です」と言われ、再審に踏み出したという。
李さんは1975年に「スパイ」とされて死刑判決を受け、2015年に再審で無罪が確定した。今年5月、李さんの自伝の韓国語版出版記念会がソウルで開かれた。多くの関係者が祝いに駆け付けた中、李さんは「監獄にいたことを妻にも話せていない人もいる。なんとかして忘れた過去を思い出したくないと、再審をしたがらない人もいる」と語った。 李さんによると、1970~80年代ごろに、韓国で北朝鮮スパイとして拘束、投獄された在日韓国人は計70~80人ほどに上る。このうち約40人が、再審で無罪が確定している。 ▽責任者の処罰がないならば… 軍事政権期などの国家暴力を調べる「真実・和解のための過去事整理委員会」は、2005年に発足した。軍事政権の流れをくんだ保守系の李明博政権が2010年に活動を停止したが、革新系の文在寅政権が2020年に再開した。李さんら同友会は、スパイとされた在日韓国人らの調査を一括して委員会へ申請したが、他にも多くの案件を抱える委員会は、一部しか調査に着手していない。委員会は法律改正などがないかぎり、来年5月で調査期間が満了する。被害の全容は解明しないままとなる可能性がある。
韓国・原州市の姜希雪(カンヒソル)さん(56)は、故人である父が、大阪から韓国に永住帰国してイカ釣り漁船で働いていた際にスパイ嫌疑をかけられ、約18年間拘束された。母も共犯として一時投獄され、孤児院を経て、約1年間は、小学生前後のきょうだい4人だけで鉄拾いをして暮らした。近所の人からは「アカの家族」と石を投げられたこともあった。 姜さんは「父は社会主義者ではあったが、スパイ行為を否定していた」と話す。それでも再審請求はしていない。「無罪になっても当時の捜査官や裁判官は処罰されない。大きい価値を感じられない」と言葉を振り絞った。