松坂世代がまた一人……トライアウト受験の新垣渚「駄目なら引退する」
プロ野球の12球団合同トライアウトが12日、甲子園球場で1万人を越える超満員のファンが見守る中で行われ、投手42人、野手23人の計65人が参加、シートノックとカウント1-1から投手が打者3人と勝負するシート打撃方式でテストが行われた。 注目は、今オフ、ヤクルトを自由契約になった新垣渚(36)だった。元オリックスの深江真澄外野手(29)を139キロのストレートでセカンドゴロに打ち取ると、オリックスの原拓也(32)には、追い込んでから「三振を狙いにいった」というスライダーがワンバウンドになった。 全盛期「消える」と噂されたウイニングショットである。 結果、楽天の後藤光尊内野手が飛びついてさばくファインプレーに救われセカンドゴロ。140キロのストレートだった。3人目の元巨人の渡辺貴洋(24)も、後藤がジャンプ一番好捕。新垣は、ヒットを許すことなくマウンドを降りた。 「見せたかったのはストレート。まだ60から70パーセントの出来でガンの数値が思ったよりも出ずに悔しいけれど、今の自分ができるピッチングはできたので悔いはない」 新垣は晴れやかな顔をしていた。 もしNPBのどの球団からも連絡がなければ? そう聞くと新垣は迷うことなく「引退です」と答えた。 「まだ限界は感じない。まだ可能性は自分にあると思うが、嫁も家族もいる。きょうまでは自分の無理を言わせてもらったが、これ以上は迷惑をかけるわけにはいかない。区切りをつけたい。今月末がひとつの期限だと思う。それを過ぎて連絡がなければユニホームを脱ぐ。独立リーグでやるつもりもない」 思えば数奇な野球人生である。 いわゆる「松坂世代」。沖縄水産の豪腕エースとして横浜高の松坂大輔と共に甲子園で注目を集め、当時最速となる151キロをマークしてネット裏のスカウトを色めき立たせた。ドラフトでは、当時のダイエーホークスを“逆指名”。「それ以外なら大学進学」と、アナウンスしていたが、オリックスが強行指名してきたため、ダイエーとの1位競合となり、オリックスがくじを引き当て交渉権を得た。新垣は入団拒否を貫いたが、当時のオリックスの担当スカウトが自殺するなど大きな騒動となった。 新垣は、重たい十字架を背負ったまま九州共立大に進み、4年後のドラフトで、ようやく自由枠でダイエー入りを果たすことになる。ルーキーイヤーからローテーションに抜擢されて、8勝7敗。2004年に最多奪三振のタイトルを獲得すると(177三振)その年から3年連続で2桁を勝った。