「草彅剛じゃなかったら時代劇を撮っていなかったかもしれない…」白石和彌監督が描く“誇りの美学”
『碁盤斬り』は、刀を交えて戦う肉体的な戦いと、囲碁による碁盤の上での戦い、全く異なる種類の「戦い」が描かれる。特に囲碁には激しい動きもなく、盤上に石を置く音や視線で静かで鋭い戦いを演出する。 「ここは難しかったですね。将棋やチェスのように、駒が動いていくわけでもないですし、ルールもちょっとわかりづらいので、どれくらい説明したほうがいいのか、囲碁の初心者も囲碁ファンも楽しめるようにはどうすればいいか、そこに腐心しました」 ちなみに監督の囲碁歴は、 「いやもう、ルールをちょっと知っている程度で(笑)」 とのことだ。 「碁石は白と黒の2色。そのコントラストの強さは映像としての武器になるかなと思っていて。 そして打つ瞬間の手の使い方、それら空間を生かしながら美しく撮りたいなというところを一番意識しました」 落語の『柳田格之進』は、いわゆる人情噺である。監督は脚本にエンタメ性を感じたというが、どんなジャンルでも「エンタメ性」は強く意識するのだろうか。とたずねると、 「それでしか撮るつもりはないので」 と返した。 「人情噺だからハートムービーにしなければならないというものでもないでしょうし、いつもどの作品も、エンタメをやろうという意識はあります」 ◆「草彅剛じゃなかったら時代劇を撮っていなかったかもしれない」 時代劇にも貫かれる白石作品のこだわりはこんな部分にもある。 「いつもどの作品でも、メイクアップすることでのかっこよさは全然感じないんです。メイクダウン、汚してもらいながらどんどん俳優たちが輝いていくという作りの映画がやっぱり好きなんです」 草彅剛演じる主役の格之進の後半の見た目の変化もまさにその『メイクダウン』だ。 「格之進が復讐のために旅に出てから、髭はボサボサで、月代も剃らなくて、埃で汚れていきますが、超絶かっこいい。 あ、こういう人を撮りたいから俺は時代劇を撮ってみたかったんだと感じました」 本作の草彅剛の、静かに燃える炎が感じ取れる表情はとても印象的だ。3月まで放送されていた連続テレビ小説『ブギウギ』で演じた作曲家・羽鳥善一の陽気でダイナミックな演技の余韻も残るだけに、強烈なコントラストを感じる。 「そこがまさに草彅さんの振り幅の広さなんです。自然体であり、どこか掴めない感じ。すごい俳優だと感じます。表情を変えないのにわかる。 もはや高倉健さんの域に入っているのではないかと思います。それでも伝わる、そこが俳優としての究極のあり方だと思います」