PTSDを患った渡邊渚さん「特定の食べ物を見るとトラウマを思い出し」 語ったフジ退社までの経緯
「死」を意識…4月に産業医を通じて退職意思
闘病中は、真剣に「死」を意識したという。 「『私、このままやっぱり死ぬのかな』って。家族も『渚がこのまま死んでしまう』って思っていた時があったそうです。だから、回復して本当に良かったなって。本当に長かったなって」 体調回復で航空機にも搭乗できるようになり、パリ五輪のバレーボールを観戦。この時も1人で決断し、チケット、ホテルを手配して海を渡った。 「今ほど体調は良くはなかったのですが、1か月前の7月頭には決断して行くことにしました。会社の上長や他のスタッフにもそれを伝えたら、『そこまで元気になって良かった』と言ってくださいました」 観戦している様子がテレビ中継に映ったことは「想定外」だったようだが、この時点で退職は確定し、発表のタイミングを計っていたという。 「いろんな誤解はありますが、今年の4月には会社の産業医を通じて、退職の意思を示していました」 インタビュー後編では、深刻な病状から体調を回復できた理由、受けた治療法、闘病を経験した自分だからできること、やりたいことを語っている。 □渡邊渚(わたなべ・なぎさ) 1997年4月13日、新潟県生まれ。名古屋市、横浜市でも生活し、慶応女子高を経て、慶応大経済学部に入学。在学中は芸能事務所の生島企画室に所属し、卒業後、2020年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『めざましテレビ』などさまざまな番組を担当。趣味は日記をつけること。特技はバレーボール。165センチ。
一木悠造