「お金をかけないポルシェ」とかディスってたやつ謝れ! 経営を立て直した救世主「初代ボクスター」は偉大なり
ポルシェの未来を切り開く変えたボクスター
そんなとき、役員会のメンバーだったヴェンデリン・ヴィーデキングがひとつの提案をしました。996をベースとして、別のクルマを作ったらどうか、と。彼はもともと実業家であり、エンジニアではなかったのですが、それ以前にトヨタの経営哲学を学び「経営効率の鬼」と化していたのは有名な話。 彼のアイディアで、ミッドシップはもちろん、4ドアセダンなど、没になった計画が次々と金庫から引っ張り出され、「これなら996のフロントセクションを共有することで開発コストが抑えられる」となったのが、ほかでもないボクスター計画だったのです。 とはいえ、ことはそう簡単ではありませんでした。なにしろ、それまでポルシェの生産規模は町工場に毛が生えた程度でしたから、996の生産に主力を注いでしまうととてもボクスターの生産は間に合わないことが明らかだったのです。 911よりも低価格にして量販することで儲けを得ようとしていたのに、量産できないとなると意味がない。かといって、928や968の生産ラインは古くて効率もよくない、もちろんボクスターのためだけに生産拠点を新設する予算などありません。 ヴィーデキングの計画はとん挫するかに見えたのですが、ここにフィンランドから救いの手が差し伸べられました。1970年代から、フィンランドのヴェルメット・オートモーティブはメルセデス・ベンツ(Aクラス等)やサーブ(99や900等)の量産を請け負っており、欧州メーカーにとってはお馴染みの工場。 ヴィーデキングは1990年には打診していたようですが、実際に生産が始まったのは1995年のこと。当初はシュツットガルトからボクスターのフロントセクションとエンジンコンポーネントを輸出し、フィンランドで組み立てるという工程でしたが、1996年には生産の大部分をヴェルメットが担うよう効率化。ちなみに、こうした手腕が認められ、ヴィーデキングは1993年にはポルシェのCEOに就任しています。 じつはボクスターを外注した際にポルシェが得たノウハウこそ、のちにメルセデス・ベンツ500EやアウディRS2アヴァントの製作請負に役立ったとする史家もいます。あるいは、ヴィーデキングに生産請負ビジネスを思いつかせたとも。 いずれにしろ、生産効率はもちろん、経営方針(平たくいえばコスト削減)まで大きく舵を切ることになったのはまぎれもなくボクスターが嚆矢となったこと間違いないでしょう。 初代ボクスターはクルマ好きの目からすればコストカットは明らかなものでしたが、ポルシェの執念なのか売上げは伸び続け、見事に史上最悪といわれる危機を救ったのでした。
石橋 寛
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