広島に「感謝しかない」 ロッテ戦力外→スカウト転身予定も…“延命”で現役続行
白武佳久氏はロッテから自由契約となり広島に復帰…26試合に登板して引退した
1995年オフに白武佳久投手(現・広島スカウト統括部長)はロッテを自由契約になり、古巣・広島に復帰した。当初はスカウトとして誘われていたが、選手として入団テストを受けて合格し、三村敏之監督率いる広島の一員になった。26登板、0勝2敗、防御率3.64だったプロ14年目の1996年シーズン限りでユニホームを脱いだが、現役ラストイヤーは充実していたという。「カープに帰って来られると思っていなかったので、感謝しかありませんでしたね」と話した。 【写真】モデルの美人妻と仲良し2ショット…戦力外になった元広島右腕 1995年シーズン、ロッテはボビー・バレンタイン監督が指揮を執ったが、プロ13年目の白武氏は1軍登板機会なしに終わり、現役引退するつもりだった。そんな時に古巣の広島から声がかかった。「カープの渡辺(秀武)スカウトから『帰って来てスカウトをやる気があるかって、常務が、今の社長(松田オーナー)が言っているぞ』って感じで連絡がきたんですよ。『えっ、いいんですか』って言いました。うれしかったですね」。 ロッテを自由契約になり、広島に復帰することになった。「スカウトのつもりで帰ったら、今の社長に(選手として)テストを受けてみたらどうだ、と言われて、そうすることにしたんです。(1995年の)秋に(広島2軍本拠地の)由宇で(ダイエー戦力外の)加藤伸一(投手)と一緒に受けました」。結果は2投手とも合格。「加藤は1日で終わっていましたけど、僕は3日間くらいやって(1軍投手コーチの)川端(順)さんに『1年頑張ってみろ』って言われました」。 背番号は1994年にマーティ・ブラウン内野手(元広島、楽天監督)が退団して、1シーズン空き番になっていた43に決まった。「僕は何番でもよかったんですけどね」。そんな思わぬ形で現役生活延長となったプロ14年目の1996年シーズン、白武氏は開幕1軍入りを果たした。4月5日の開幕・中日戦(広島)に、2-2の延長10回1死から4番手で登板して1/3を無失点。「左右左で僕は右打者に1/3。その日は(延長13回に)サヨナラ勝ちしたんですよね」と笑みを浮かべた。 その試合、広島・三村敏之監督は延長10回に3投手をつぎ込んで打者3人を封じた。中日の5番、左の音重鎮外野手には左腕・前間卓投手、6番の山崎武司外野手には右腕・白武氏がマウンドに上がり、7番の左の大豊泰昭内野手には左腕・小早川幸二投手が登板しての“1人1殺リレー”だった。「忘れもしません。『よっしゃー、まだできるんだぞ』って川端さんと2人で飲んだんですよ」。