ジャガー横田『極悪女王』の俳優陣の“プロ根性”を称賛する一方、「あのシーンは心外だった」とブチギレ…スター選手を引退に追い込んだ19歳の横田利美が抱えた孤独
「あれは心外」という問題のシーン
プロレスラー役の女優たちがリング上で披露した演技は、当時を知るファンに「そっくり」「生き写し」などネット上でも絶賛されている。 「私は、技をやった後と前の動作、表情はすごく各選手の特徴を捉えて似ているなぁと感じました。そこも役者さんたちの努力ですよね。 ただ、水野絵梨奈さんが演じてくださった私自身は恥ずかしいし、『あんなことやってたのかな?』と思っていましたが、周りからは『似ている』と言われるので『そうなんだろうな』と受け止めています」 フィクションとして『極悪女王』を「すごく面白かった」と称賛したジャガーだが「現実との違いを感じるシーンもありました」と切り出した。それは、エピソード2でエースだったジャッキー佐藤との対戦を控えたシーンだった。 1968年に旗揚げした全日本女子プロレスは、松永高司が社長を務め、弟の国松と俊国による「松永三兄弟」が会社を経営し、リング上の運営を決めていた。ジャガーによると試合を組むマッチメイカーは、国松と俊国の二人。そしてドラマでは俊国を斎藤工が演じていた。 このエピソード2でジャガーと俊国との会話でジャッキー戦へ向けて、試合の勝ち負けに関して繊細な会話が描かれている。しかし、ジャガー毅然とした態度で否定する。 「俊国さんが私のことを目にかけてくれていたことは事実です。とてもお世話になった方です。ただ、このジャッキーさんとの試合前にドラマで演じられているような、そんなことを私は言われていません。 そういうのをドラマでやられちゃうと、世間のみなさんに、プロレスが全部そういうものと思われるのは心外でした」 ドラマで描かれた試合は、現実に行われている。会場は横浜文化体育館。1981年2月25日のことだった。当時、ジャガーは19歳。リングネームは本名の「横田利美(よこたりみ)」だった。 ジャッキー佐藤は、1976年にマキ上田と結成したタッグチーム「ビューティー・ペア」で日本中に絶大な人気を獲得。歌手デビューした『かけめぐる青春』は80万枚以上のレコード売上を記録した。 ジャガーは入団以来、ジャッキーの付け人を務め、公私にわたり世話になっていた。