ボッテガ・ヴェネタ、フェラガモ、マルニ──若手デザイナーが牽引する、ミラノ・ファッションウィークの“奇妙”なトレンド【2024年秋冬コレクション】
2024年2月20日から26日(伊現地時間)にかけて、ミラノ・ファッションウィークが開催された。保守的という評判がつきまといがちなミラノのファッションシーンだが、若手デザイナーたちによってその風景が塗り替えられつつある。 【写真を見る】ミラノ・ファッションウィーク2024年秋冬コレクションのハイライトをチェック! 1月にあった一連のメンズ・ファッションショーで、私の頭にふと浮かんだことがあった。それは、イタリアには新進気鋭のブランドがほとんどないということである。ニューヨークやロンドン、パリ、東京、ロサンゼルスと違い、ミラノには独創的な若いデザイナーによって盛り上がりを見せるシーンがない。当時私が書いたように、スプレッツァトゥーラの本拠地とも言えるこの街で期待を抱かせる新進ブランドといえば、オフビートなデザインで楽しませてくれるマリアーノくらいなものである。それ以外に思い浮かぶのは、今回のウィメンズ・ファッションウィークでも先週金曜に発表したばかりのスンネイだろう。同ブランドのデザイナーデュオ、シモーネ・リッツォとロリス・メッシーナもまた、この街のファッションシーンが必要としている“新しさ”をもたらすべく孤軍奮闘している存在と言える。それに加えて、いい意味での“奇妙さ”も。ミラノのファッションを評するときに滅多に使われることはない言葉だが、それが今シーズンの意外なトレンドだった。 余談だが、私がヨーロッパに戻ってきているのはなぜか。それは多くのデザイナーが1月と6月のメンズ・ファッションウィークを飛ばして、男女混合コレクションを2月と9月のウィメンズ・ウィークにまとめて発表するようになってきているからである。なるほど、その見せ方のほうがより現代的だし、1年に4つのショーを開催するよりも2つで済ませたほうが経済的だ。 ■ミラノに新風を起こす若手デザイナーたち スンネイのリッツォとメッシーナは、まだ新しい二人のブランドを話題にしてもらう術をよく心得ている。昨年9月の2024年春夏コレクション発表の際、彼らはオーディエンス参加型のショーを考案した。点数が書かれたスコアパドルを手渡されたゲストたちに、ランウェイのルックを一つ一つ採点してもらったのである。『Vogue Runway』に掲載された写真の半分ほどに、ほぼ全てのルックに高得点を付けている私の姿が確認できるはずだ(ごくわずかに1点や2点を付けてもいるが、正直なのが私の取り柄だ)。 そんな彼らは今回、ショーのサウンドトラックとして音楽の代わりにモデル一人ひとりの“心の声”を流すという試みを行った。ある一人がランウェイを歩いているときには、「世界は火に包まれているというのに、私たちはファッションに興じているだなんて。この人たちはなんて浅はかなのか。まったく、彼らを見てごらんよ」と、そのモデルの“考えていること”が会場にこだました。またある一人は、「転ばないよう、まっすぐ歩け。くそっ、バッグが落ちそうだ」と自分に言い聞かせていた。ほかにも、バックステージでデートの約束を取り付け、何を着ていこうか考えを巡らせているらしいモデルもいた。 これはその場で体験してこその演出ではあったが、非常におかしくて記憶に残るばかりでなく、ランウェイショーの型を破りながらもフォーカスを服から奪うことのない、巧みな見せ方に思われた。絨毯のファブリックを使ったジャケットやチュニックは、その素材の重みにもかかわらず、風変わりかつ魅力的なシェイプが軽やかさや陽気さを感じさせた。 雨の降る翌日土曜の午後に行われたジル サンダーのショーで、私は絨毯を思わせるコートをさらに目にすることになるとは思ってもみなかった。今シーズンのミラノ・ファッションウィークを特徴付ける、ある一つの傾向がそこには表れていた。素材使いや仕立てに実験性を取り入れ、オーバーコートなど典型的なメンズアイテムを、より魅力的で異形なものに生まれ変わらせるという試みである。極端に厚手のフェルトジャケットを、ほかにもいくつものショーで見ることができた。シェイプに丸みを持たせたり、中綿を詰めたり、かちっとした構造に仕立てたりすることでそれらは、着た人を存在感たっぷりに包み込むステートメントアイテムとして仕上げられていた。 ジル サンダーの共同クリエイティブ・ディレクターを務めるルーシーとルーク・メイヤー夫妻は、ピスタチオ色のランウェイにマッチした大きなグリーンのコートや、スクエアなファーのパネルに覆われた赤いコートなどを披露した。個性的なコートはマルニやボッテガ・ヴェネタでも見られ、極端なラウンドショルダーは、服が光を浴びて影として映し出されたときの誇張されたシルエットによく似ていた。ここまでアウターウェアに注目させられるファッションウィークになるとは、思ってもみなかったことだ。 ミラノは明らかに、そしてありがたいことに、過去の無難かつ商業的な方向性から舵を切ろうとしている。先週私が目にしたスニーカーの数は片手で数えられるほどだった一方、マルニではサーカスのピエロを思わせる風変わりなシューズがたびたび登場した。印象深かったのは、複数のデザイナーが男性モデルにサイハイブーツを履かせていたことだ。ヴェルサーチェではタキシードジャケットに、フェラガモではミリタリー風パーカに、そしてバリーではジーンズとセーターに、それは組み合わされていた。昨シーズンに素晴らしいデビューを飾ったバリーのシモーネ・ベロッティだったが、彼は今回、あのコレクションはまぐれではなかったと思わせてくれた。長年グッチに在籍していたベロッティは、控えめなバリーの印象を見事に刷新してみせた。 ミラノにはこれからという新しいメンズウェアブランドが見当たらないにもかかわらず、それでも注目に値する変化が進行していることは明らかだ。有望な若手デザイナーがミラノにいないわけではない。彼らはほとんどの場合、インディペンデントな才能としてではなく、メジャーブランドの中から地元のファッションシーンを活気づけることに貢献しているのだ。 ミラノ中にその名を轟かせる大物デザイナーファミリーを除き、この街で評判となるクリエイティブ・ディレクターのほとんどは「普通の人々」である──そう話すのは、イタリア版『GQ』のフランチェスコ・マルティーノだ。フェラガモのマクシミリアン・デイヴィス、ボッテガ・ヴェネタのマチュー・ブレイジー、マルニのフランチェスコ・リッソの名を挙げ、彼は言う。「彼らが作っているのは、どこまでも心地よく自然、そして彼ら自身の人となりが反映された服なのです」 ■地元に密着したデザイン活動 デイヴィス。ブレイジー。リッソ。3人はお互いに作風はまったく異なるものの、世界的なクリエイターのコミュニティに深く根差しながら、地元との強固な結びつきを持っているという点で共通している。ミラノに住むある一人は、過去数週間のうちに自身の友人に会うよりも頻繁にブレイジーを見かけたと話していた。ブレイジーがしょっちゅう訪れるというバー兼パニーノテーカ(サンドウィッチ屋)「バール・クアドロンノ」は、地元のアーティストやデザイナーに愛されるローカルな酒場だ。彼は、ボッテガ・ヴェネタのバッグの一つをこのバーにちなんで名付けてもいる。 もちろん、そこには世代的な要因もあるだろう。かつては、ミウッチャ・プラダもバール・クアドロンノの常連だった(プラダ財団美術館にウェス・アンダーソンがデザインした「バール・ルーチェ」がオープンした際、彼女はスタッフを数カ月バール・クアドロンノのパニーニ調理師のもとで修行させたといわれる)。しかし、ミラノのファッション・エスタブリッシュメントが最後に夜の街をぶらついたのはいつだろうか。ミウッチャをはじめ、ドナテラ・ヴェルサーチェやジョルジオ・アルマーニ、ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナらは皆、裕福であるだけでなく顔が知られ、そして程度の差こそあれ、いずれも高齢である。商業的かつ伝統的に過ぎるとされるミラノ・ファッションウィークの評判を打破するのに、いい立ち位置にいるとは言えない。 デザイナーがバーで過ごす時間を無闇に過大評価するつもりはないが、私にはデイヴィスやブレイジー、リッソのコレクションが持つダイナミズムに関しては当てはまる話だと思っている。彼らのデザインやショー、そしてブランドの世界観には自然体ともいえる特徴がある。それに、コラボレーションから生まれる、驚くような新しいアイデアを受け容れる柔軟性も持っている。その結果、彼らはミラノをもう一度、エキサイティングなファッションハブへと回帰させようとしているのだ。 ■“原始”に還ったマルニ マルニでは、レザーのフロックコートや、ブラシで厚いペイントを施したジーンズなどにリッソの作風が如実に表れていた。ショーを前にしたプレビューで、彼はデザインチームとともに社内のスタジオを紙で覆い“洞窟”を作ったと話していた。コレクションをデザインするうえで、気が散らないようにするためだという。彼はまた、参照写真やムードボードもスタジオから撤去した。「既存のイメージを参考にしないことが、直感からの創作を活発にすると気がついたのです」と、彼は話した。 コレクションを通して感じられたのは原始的なムードだ。それが顕著に表れているのが、『原始家族フリントストーン』を思わせるレオパード柄のチュニックだった。リッソにとって、結果と同じくらい大事なのがプロセスである。そのどちらにも、彼が連れてきた仲間たちによる仕事が反映されている。独特の個性を持つスタイリストのカルロス・ナザリオ、神秘的なサウンドトラックを手がけた作曲家のデヴ・ハインズがそうだ。キャスティング・エージェンシーの「Midland」も、この週いちばんの個性的なモデルたちを用意した。 リッソの友人であるコリーナ ストラーダのデザイナー、ヒラリー・テイモアと最近話した際、彼女はマルニを見て思い出すのは実験的なニューヨーク・ダウンタウンのブランドだと語っていた。私から付け加えるとすれば、マルニにはそれらの小ブランドにはないリソースがある。ショーが開催された大きな会場は、スタジオと同じように紙で完全に覆われていた。そのままその紙の洞窟で行われたアフターパーティーには、ブルックリン・ブッシュウィックさながらのレイヴ感が漂っていたが、そこにはマルニのホームであるミラノとの結びつきが確かに感じられた。「ミラノにいる私の知人全員が、マルニのパーティーに行く予定です」と、顔の広い現地の友人も話していた。 ■予定調和を壊したフェラガモ 土曜の午前中に行われたフェラガモのショーで、マクシミリアン・デイヴィスは明確にフォーカスされたコレクションを披露した。その中心となったのは、ウエストにバックルを外した形でスタイリングされた、幅広のベルトを備えた厚手のメルトンコートだった。バックステージで彼は、その「ミリタリー・ユーティリティなディテール」は、自身を魅了する1920年代のスタイルから着想を得たものだと話した。ショーを通して、そのコートがフォーマルジャケットなど様々なスタイルに形を変えて繰り返し登場した。また、チャンキーニットのカーディガンやキャンプなショートパンツに顕著なように、丈は前シーズンからさらに短くなっている。 シンプルなメンズシルエットを際立たせていたのは、スタイリングの妙である。コントラストの効いた色のぶつかり合いが、今シーズンの予定調和なモノクロームの連続をフレッシュに崩していた。一方で、サイハイブーツには機微のあるスタイリングがなされていた。バックステージで、私はベテラン・スタイリストのロッタ・ヴォルコヴァの姿を目にした。彼女はバレンシアガをはじめ、最近ではミュウミュウでの仕事でベーシックなスタイルを最高峰のファッションへと昇華する手腕を発揮してきた。デイヴィスが彼女を起用したのは今シーズンが初めてだったが、このコラボレーションが今後も続くことを期待したい。 デイヴィスが招集したチームには、ほかにアメリカ人プラスサイズ・モデルのパロマ・エルセッサーや俳優ポール・ハメリン、ファッションコンサルタントのザイナブ・ジャマなどがおり、いずれも今回のショーでモデルとしてランウェイに登場した。自分が作った服の舞台を彼らが築くことで、服そのものも興味深いものになるということを熟知しているのは、リッソだけでなくデイヴィスも同じである。デイヴィスのアフターパーティーは、彼らしく地元の小さなバーで行われた。 ■ボッテガ・ヴェネタが示した希望 土曜の夜に開催されたボッテガ・ヴェネタのショーには、エイサップ・ロッキーやジェイムス・ブレイクといった超有名アーティストから、劇作家ジェレミー・O・ハリス、作家でキュレーターのアントワン・サージェントまで、様々なカルチャーを代表する面々が集った。 今シーズンのランウェイでマチュー・ブレイジーは、これまでのやり過ぎとも言えるアルチザナルな方向性から、より地に足の着いた雰囲気へとシフトした。「平凡な日常を讃えることに関心がありました」というのが、バックステージでの彼の言葉だった。ドレッシーではあるがフォーマルではない最新コレクションについて彼は、犬の散歩をするときは夜でもデイウェアを着ているということに着想を得たと話す。また、「世界情勢についてのニュースを観ているとき」の自分を反映したものでもあるという。 厚みのある生地は装飾が排され、ブレイジーが「レジリエンス」と呼ぶ力強さを湛えた堂々たるシェイプに仕立てられている。ややダークににすら聞こえる表現だが、焼き焦がした木の床にムラーノガラスのサボテンがそびえるランウェイで実際に観ると、それはダークそのものだった。ただし、そこに陰鬱な感じはない。トレンチコートに織り込まれた罫線のようなグリッドパターンについて、ブレイジーは次のように語った。「ノートに着想を得ました。未来に向けたアイデアを綴るためのね。つまり、最後には希望が示されているのです」。 これは、彼がこれまで手がけたなかで最もパーソナルかつ感傷的なコレクションだった。それでいてサプライズにも事欠かず、がっしりとしたシェイプのニットウェアはロッキーがしっかりと写真に収めているのが見えた。 スンネイのショーに話を戻したい。ミラノ・ファッションウィークで何か素晴らしいことが起きているという気配がもう1つ、そこで感じられたからだ。会場で私が驚いたのは、数席離れたところにグッチの現クリエイティブ・ディレクター、サバト・デ・サルノが座っていたことだった。もちろん、デザイナー同士がお互いのショーに出席するのも最近では珍しいことではない。プラダの共同クリエイティブ・ディレクター、ラフ・シモンズは、弟子のブレイジーが手がけるボッテガ・ヴェネタのショーにおそらく毎回顔を出しているのではないだろうか。しかしデ・サルノはと言えば、グッチのウィメンズショーがつい1時間前に終わったばかりのはずである。まっすぐバール・クアドロンノに向かって祝杯を挙げても、誰も文句は言わないだろう。ショーが始まるのを待ちながら交わした会話のなかで、彼はスンネイのショーに駆けつけるためにスケジュールを組み直したと明かした。「ほかの若いデザイナーをサポートすることは、私にとっても重要なことです」と、自らも40歳そこそこのデ・サルノは言う。「サポートするという言葉だけを発したくはありません。実際にショーに出席したいのです」 ミラノは今でも、テーラリングや洗練されたクラシックなメンズウェアで第一線にある街だ。その事実に変わりはないが、そのなかにもイノベーションや刺激的なデザインがふんだんに生まれてきているのだ。ミラノをホームと呼ぶ次世代のファッションを担うスターデザイナーたちは、ともに少しずつ、この街のファッションシーンを塗り替えつつある。 From GQ.COM By Samuel Hine Translated and Adapted by Yuzuru Todayama