電話機は近隣住民で共有、団地が増え生活様式一変…激動の時代「昭和」の思い出
■戦争を終え…米軍家族の下で働く思い
地元で生まれ、現在この団地に一人で暮らす前田勝人さん(94)に、戦後について聞いてみた。 前田さん 「昔、陸軍の飛行場だった所の跡に米軍が進駐してきて」 この「光が丘パークタウン」の場所は、戦後まもなく「グラントハイツ」と呼ばれるアメリカ軍家族の住宅地として使われていた。 前田さん 「『グラントハイツ』のいわゆる“ハウスボーイ”という家の掃除や料理、いろいろなことをやる仕事があったんですよ」 前田さんはアメリカ軍の大佐の家を任され、およそ18年“ハウスボーイ”として働いた。そして、妻の美津子さんとの出会いも「グラントハイツ」だった。 前田さん 「(Q.グラントハイツなくなった思いは?)同じ人間と思われてね。戦争は負けたんだけど。(なくなって)ちょっとさみしい、悲しい思いをしましたよ」 前田さんにとっての“激動の昭和”は、ここ「光が丘」にあった。 (「大下容子ワイド!スクランブル」2025年1月10日放送分より)
テレビ朝日