【師走ひと模様】町の宝「共楽座」復活へ 住民集う文化拠点に 福島市飯野町の渡辺浩志さん
「飯野の宝を再び、みんなが楽しめる場に」。福島市飯野町の靴職人渡辺浩志さん(45)は明治から昭和にかけ、芝居小屋や映画館として愛された「共楽座」の復活へ奔走している。町角にたたずむ趣ある建物、住民に娯楽を届けた歴史に引かれた。高齢化の進むまちに映画や劇、音楽に出合える空間を取り戻す―。寒空の下で有志と手弁当で修繕を進める。目指すのは開館から120年目に当たる、来年中のこけら落としだ。 ■1月見学会、有志と修繕 渡辺さんは福島市大森出身。二本松工高(現二本松実高)から都内の専門学校を卒業。靴職人を志して22歳でイタリアに渡った。帰国後は自身のブランドを立ち上げ、神奈川県鎌倉市で店を営んできた。 帰郷を考えていた2022(令和4)年に飯野を訪れ、豊かな自然と落ち着いた雰囲気が気に入った。山林に囲まれた築140年の古民家を購入し、2023年3月から暮らす。町について調べる中、共楽座の存在を知り、引き込まれた。「まちに映画館を取り戻したい」。移住者の交流会などで情熱を語るうち、協力してくれる仲間が増えた。カメラマンにウェブデザイナー…。仕事は違えど、飯野ににぎわいを生もうという気持ちは一緒だった。5人で「復活プロジェクト」に向けて歩み出した。
◇ ◇ 共楽座は1905(明治38)年、旧飯野村長も務めた故高橋達之助さんが芝居小屋として開設。木造2階建てで約200人を収容できた。当初は芝居小屋、戦後は映画館として、養蚕業で栄えた「シルクの町」に暮らす老若男女に日々の潤いを届けた。娯楽の多様化などにより、1968(昭和43)年に惜しまれながら63年間の歴史に幕を下ろした。 渡辺さんには、映画にまつわる忘れられない思い出がある。靴造りの本場イタリアでの修業時代。東洋人への偏見もあり、技術を習得できず思い悩んだ。すさんでいく心を癒やしたのは立ち寄った先で目にした1本の映画だ。スクリーンで流れる物語に励まされ、職人として独り立ちを目指す勇気をもらった。 共楽座の復活に向け、創設者の高橋さんの子孫から建物を譲り受ける約束を得た。仲間と清掃や資機材集めを始めた。東日本大震災に耐えた建物に電気は通っておらず、床板や客席も劣化が著しい。ただ、どんちょうは市飯野支所に保管されており、カーボン式映写機も地元に残っているのを確認し、手応えを感じた。
◇ ◇ 活動の第1弾として、11月には「UFOフェスティバル」に合わせて建物を公開した。お年寄りが往時を懐かしむ一方、存在を初めて認識した住民も少なくなかった。来年1月中旬ごろには照明を整え、館内見学会を開く。「共楽座は飯野の宝物。まずは多くの人に知ってほしい」。底冷えする建物に冬本番も通い、準備を進めている。 来年には修繕費を募るクラウドファンディングも仕掛け、本格改修を見込む。昔の雰囲気を守りつつ、バーなど新たな魅力を加える知恵も絞る。春と夏には映画祭を催すつもりだ。「誰でもいつでも集まれる温かい空間、末永く愛されるよりどころにしたい」