<最高の花道へ―センバツ’22・東洋大姫路>野球部の歴史/下 激闘制した03年春 再試合での延長戦の末4強 /兵庫
東洋大姫路の野球部を草創期から鍛え上げてきた田中治さんと梅谷馨さんの両監督に代わり、1987年秋にOBの井上晃一さんが監督を引き継いだ。翌88年には4回目のセンバツ出場を果たしたが、初戦で敗退。91年には野球部長も大久保強さんから三牧一雅さんに交代した。ノックの名手だった田中さんは亡くなり、梅谷さんもチームの指導から離れた転換期。90~97年の夏の県大会では準々決勝までも勝ち進めなかった。 97年秋、OBで社会人野球の東芝府中で監督を務めていた藤田明彦さんに、新監督就任の白羽の矢が立った。藤田さんは「名門復活」を合言葉に掲げ、攻守とも徹底的に選手たちを鍛え直した。98年夏、チームを10年ぶりの甲子園に導くと、2000年には12年ぶりにセンバツ出場を決めた。 創部40周年の節目となった03年のセンバツでは、ベトナム国籍としても注目を集めたエースで主将のグエン・トラン・フォク・アン選手率いるチームが準々決勝で花咲徳栄(埼玉)と対戦。延長十五回、2―2で引き分け再試合となる球史に残る激闘を見せ、翌日も史上初となる再試合での延長戦を制し、4強まで進んだ。 06年からは、OBで社会人野球の三菱重工神戸で活躍した堀口雅司さんが監督に就き指揮を執った。林崎遼選手(元西武)や乾真大投手(元巨人)が活躍した06年夏はベスト8、松葉貴大投手(現中日)がチームを引っ張った08年春は4強入り。その後、11年に藤田さんが再び監督として戻ると、夏にはエースの原樹理投手(現ヤクルト)を柱にベスト8に進出した。 22年3月末で、東洋大姫路の野球部を支え続けてきた監督の藤田さんと、部長の三牧さんが共に退任する。「最後は甲子園で指揮を」と練習に励んできた選手たちは、14年ぶりのセンバツ出場と恩師への最高の花道をつかみ取った。【後藤奈緒】 ……………………………………………………………………………………………………… 甲子園の成績 監督 部長 できごと 主な選手(3年時) 1988 春2回戦 井上晃一 大久保強 1998 夏1回戦 藤田明彦 三牧一雅 10年ぶり甲子園出場 2000 春2回戦 2001 夏3回戦 2003 春ベスト4 グエン・トラン・フォク・アン 2006 夏ベスト8 堀口雅司 林崎遼、乾真大 2008 春ベスト4 松葉貴大 2011 夏ベスト8 藤田明彦 原樹理 2022 春 3月末で退任 3月末で退任 14年ぶりセンバツ出場 〔神戸版〕